積乱雲
今まで現だと思っていたものが
ある日唐突に濁る
膜を一枚張ったように。
いつも無意識だという
身体を晒すときも
性癖の中に我を紛らわすときも
始まりがわからない。
それでいつも素だと思ってしまう。
今朝も空がきれいだと笑う
電話での声は変わりがない
来週行くとさり気なく言ったら
他人事だよね
少し間を置いてまた笑った。
左の意識は戻らないの?
そんなの元からない。
添付してきた写真を見つめてみた
病室から撮ったものだという
豊かな木立のうねりが続いている
上空に鮮やかな積乱雲が浮かんでいた。
同じ写真を何度でも添付してくる。
現だったに違いない。
コメント
現(うつつ)とは何でしょうか。現とは脳が現と感じているものでしかありません。私とあなたの脳の受け止め方が違うとき、私とあなたは別々の現の中にいるのでしょう。
不確かなものを
たしかに、懐に置きながら
日々が流れていきます
素敵なうたです
最近、思うことがあります、人は他人の中に自分自身を置こうと、または記憶させようとするとき、自分の孤独を埋めようとしているのかと。
たかぼさん
私とあなたは別々の現の中にいる。たしかに、そうですね。だから、人と人は、(時に)わかり合えない。双方がわかったと思い込んでいるだけなんです。
那津na2さん
現実は、不確かなものの積み重ねかもしれません。夢と現、虚構と現実、嘘と誠…。それらの狭間で日々は流れていきます。
timoleonさん
村上春樹さんの『ノルウエイの森』の中に、こんなフレーズがあったことを思い出しました。
「みんな自分のことをまわりの人間にわかってほしいと思ってあくせくする。でも人が誰かを理解するのはしかるべき時期が来たからであって、その誰かが相手に理解してほしいと望んだからではない」
三連目以降の物語がすごく良くて、色々と想像するのが楽しいです。微妙にすれ違う二人の関係性が、何度も送られてくる積乱雲の写真の中に現れているように思いました。
この作品がそうだというのではないのですが、文学少年だった私が文学青年へきれいに脱皮出来ないまま大人になってしまったのは、学生時代に詩学を読んだときに、大人の言う詩は、それまでかいていた物と全く構造が違うと思って、それまで綴っていた物を束ごと火に焼べてしまったことを思い出しました。言葉で詩を語りたい欲求を知性で抑えながら紡いでいく楽しみは老若男女だれでもあじわえることで、例えば日々の会話の中にもあるのかななどとおじさんになってみて感じてみました。
夢と現、意識と無意識。とても当たり前なのことなのかも知れないけれど、とても切なくて悲しいストーリーを感じます。きれいな空に浮かぶ積乱雲は近づいたり中に入ると別物だったりします。そのどちらの姿も現であるような、夢に包まれているような、そんな感覚を覚えました。
トノモトショウさん
物語を想像して読んでいただけると、嬉しいです。人と人の、関係の不確かさを意識したところがあります。「積乱雲」は、読み手の方それぞれの解釈があるのかなと思っています。
足立らどみさん
私も、詩の書き手として、大人に脱皮できたのか、と問われれば心もとないところがあります。誰かに習ったわけではなく、師がいたわけでもなく、長いこと自己流で書いてきました。…詩を書くのが好きだったのだと思います。語りたいという欲求があって、それが言葉に上手く繋がっていかない、というジレンマは、今もあります。これからも自己流で書いていくのでしょう。
あぶくもさん
この作品自体は、フィクションですが、きっかけになった事実は存在します。私の場合、事実と虚構がごちゃ混ぜになった詩が多いです。夢と現、意識と無意識、というのも、その書き方とどこかで重なっているのかもしれませんね。ストーリーは、あぶくもさんの中でふくらませていただけると嬉しいです。
長谷川 忍さん
生涯教育の盛んな今日、どこか場末の街で、ひっそりと詩の書き方を教えることで糧を得ている詩人さんがいらっしゃるかもしれないので、あっても不思議ではないので、その方のことも考慮してしまうと詩の書き方について迂闊なことは言いたくないのですが、詩は習ってかける類のものではないということを私は、普段から思っていましたで素敵なご返答して頂き感謝します。
足立らどみさん
そうですね。詩は、習って書けるものではない。長く詩を書いてきて、それは痛感します。苦しみ、のたうち回りながら、自分で育てていくしかない。でも、時々で、良い先輩詩人との出会いがありました。今も励みになっています。
長谷川さんの詩に私にとっては予想外の言葉が出てきてどきりとしました。
読後なにかの手のような心のようなものを少しでもあたためてあげたくなったのですが、その行き場はありませんでした。
たちばなまこと/mさん
私の詩の中では、異色になるかもしれません。でも、書いておきたかった詩なのですね。たちばなさんのお気持ち、嬉しく思いました。