世の中

司馬遼太郎著「翔ぶが如く」
読み返している
当時の
15歳の記憶が甦る

ニュータウンから兵庫の田舎に転校し
酷い
豚のような価値観を持つ同級生たちに
いわれなき
その性のままのような
暴力を振るわれた

担任の英語の女性教師は
私の、死んだような目を見て
鯖のような目とクラスで嘲笑う

当然
さらなる
学年中の、いじめの対象となり
当時の流行りであった、自殺を
考えた時代でもある
ある同級生がいて、彼はやり過ぎた
頬を殴られ
パンパンに膨らませて帰宅した子を見て
ようやく親は気づく

担任の女性教師は、私の目の前でいう
さも、知らなかったように
なんて可哀想なことでしょう
この瞬間に気づく
世の中のえげつなさ、非道を
正しさとは、力が必要なのだ

残りの中学生活は、灰色で終わる
腫れ物を触るように
生徒とも、先生とも会話はなく
独り、教室で座り続けた

ただ、例えば草食動物
犀のような顔をした中年の先生が
トイレの小便器で語りかけてきた
抵抗しなかった君は
偉いと思うよ

沈黙

意味が、全く理解出来ない
この犀野郎は
いじめを受けている生徒を
見て見ぬ振りをし
ことが終わったから
この台詞か

世の中に、絶望を感じた瞬間でもある

家に帰ると、母が泣いている
ただ、ただ
申し訳ない気持ちになり
独り、部屋で涙する

同時に
私は
この母と妹たち以外
すべて、薄汚いと
世の中そのものを深く憎んだ

そうして
あまり、帰ってこない父の書斎に並ぶ
司馬遼太郎著「翔ぶが如く」を
一巻からすべて
狂気の如く
繰り返し、読み返したのだ

私は
こういう15歳を過ごした
故に
今の私がある
本当に、そう思っている

投稿者

大阪府

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