まなざし
今日もどこか
傍らから
私を見つめている。
よく晴れた
初冬の朝
街中の日向に陰ができるように
陰があることで
はじめて
日向が照り映えるように
気がつくと
ひとり
ごく自然な陰になって
私をじっと見つめている。
そんなひとがいる。
今日もどこか
傍らから
私を見つめている。
よく晴れた
初冬の朝
街中の日向に陰ができるように
陰があることで
はじめて
日向が照り映えるように
気がつくと
ひとり
ごく自然な陰になって
私をじっと見つめている。
そんなひとがいる。
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コメント
長く伸びた夕方の影がクイっと起き上がって来て話し出すイメージが浮かびました。
影と陰についても考えて、木陰のような人でいるのも良いなーと。
@あぶくも
あぶくもさん、陰という言葉を使ってみたかったんです。少し、憧れを込めて書いたところがあります。…私もこういうひとになりたい、と。
カメラをいじくるようになってから
より「陰」を意識するようになりました。
光はおおむね無意識で捉えられますが
「陰」は意識しないと捉えられない部分が多いようです。
我々の瞳もレンズと同じなのでしょうね。
「陰」には本質が潜んでいるような気がします。
@nonya
nonyaさん、「陰」には本質が潜んでいる、というのはわかります。私も日常の中で陰を意識します。だからこそ日向の大切さにも気づかされます。日向と、陰、…人と人との関係にも喩えられますね。
対になっている自分との対話のようで、面白かったです。
影のように見つめる存在があると思うと、均整を保とうとしてどちらかに傾かなくなるのかな、などと。
@ザイチ
ザイチさん、日向と陰があって、自然も人間関係もバランスがとれているのかな、と思います。役割があるのかもしれませんね。…私は、陰のほうかな。
方向性は違うかもしれませんが、前近代の西洋では、絵画は明暗を軸に描かれ、「明」に対して「暗」が確固たる存在感を持っていました。カラヴァッジョやラトゥールの作品が代表的です。ところが、近代に入って科学技術が花開くと、世界は電化され、どこもかしこも明るくなり、闇は失われていく。その典型が印象派の絵画です。どこも明るくて「暗」が消えていきます(だからといって印象派がつまらない、というのではないのですが)。それに続く現代も然り。たぶん、日本も似ていて、現代では陰翳があまり礼讃されていないように感じられます。そうした風潮に反するのが、長谷川さんのこの作品で、「暗」「陰」に焦点が当てられています。そこが反時代的であり、深みが感じられます。…というのはうがちすぎなのかもしれませんが、そういったところからも解読できるように感じられました。
@佐藤宏
佐藤さん、日向と陰、明と暗のバランスを意識して書いたところはあります。。個人的には、陰というものが好きなんですね。私も陰になって、日向を照らしたいという気持ちがあるかもしれません。
この詩とは直接関わりませんが、佐藤さんんのコメントを拝読し、ヴィルヘルム・ハマスホイというデンマークの画家を思い出しました。19世紀に活動した画家です。彼の陰翳を帯びた絵に惹かれます。もしかしたら、無意識の内に彼の描く絵に影響を受けたかもしれません。