唐揚げ

唐揚げ
給食の時間に落とした
楽しみにしていたのに
落としてしまって
それから
見つからない
唐揚げが
見つからない
たぶん
記憶と記憶の隙間に
落としてしまった
先生も友達も
探してくれた
でも見つからないまま
みんなも隙間に
落ちてしまって
それ以来
見つからない
その夜、母は
帰ってこなかった
テーブルの上に
書置きと
唐揚げを残して
それからずっと
帰ってこなかった
母も隙間に
落ちてしまった
だから父も
最初から
存在がなかった
ご飯は
自分で炊いた
母が残した拙い字
隣に
唐揚げを一つ
残しておいた
ご飯も一杯
残しておいた
隙間を探した
けれど自分が落ちていく
隙間などなかった
その夜は
夢を見ようと思った
父も母も唐揚げも
出てこない
思い出すだけで
胸が温かくなるような
そんな夢を
見ようと思った

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コメント

  1. 「胸が温かくなるような・・・」僕もそうです。

    年なると、
    たくさんありますよね(涙・笑)

  2. まず、この詩は、異次元的な詩だと感じます。
    そして、とても悲しいというか、さびしいというか、そんな思いを感じました。でも、ただ単に、悲しい さびしい、だけではない、なんというか、もしかしたら、希望も感じられる詩だなぁと思いました。うまく言えないけど。
    その悲しみと さびしさがあるけれど、最後のほうで、この詩の話者にしか分からないような 大切な 温かさが際立つようになっていると思います。

    その夜、母は
    帰ってこなかった
    テーブルの上に
    書置きと
    唐揚げを残して
    それからずっと
    帰ってこなかった
    母も隙間に
    落ちてしまった

    そして、ここが、この「唐揚げ」という詩の、ミソ(要や山場)なところだと思いました。特に母の「書置き」が効いていると感じます。
    この詩の 話者にとって、その「唐揚げ」は、どんな味がしたんだろ?と思うような詩ですね。ん。

  3. たけださんの詩は、一読して胸に深く染みとおるのですが、では何が書かれていたのかと言語化しようとすると、それができません。思い浮かぶのは、「静謐」「喪失」という二つの言葉だけです。そして理解を深めようとして繰り返し読み、何度も読むごとに静謐なる喪失感が深まってきて、なおいっそう詩の世界に浸っていきます。この不思議なる輪廻。

  4. 心覚えのある、ホームシック を、まず感じました。
    唐揚げは「空あげ」となって空のすきまに落ちてしまったのか
    思い出をつなぐ愛着ある者たちと、僅かな距離(隙間)をおいてしまったことで
    なんとなくですが、この「僕」は成長へさみしさを抱えながらもステップアップしようとしてるのかもとも思えたり。
    唐揚げの思い出を糧に、ひとりのせいかつをふんばっているのなら
    檸檬の月を見上げてほろろとしてしまうのかな、とか。

    ごはんを炊いて、唐揚げと一緒に残しておくのは優しさと心の豊かさを教えてもらったからこそだと思うので
    この「僕」といっしょに美味しく食べる夢を見たいです。

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