八百屋お七の日(3月29日)

もう一度
君に逢いたし
火のちから
燃ゆる想いは
この身を焦がしつつ

愛は陽炎じゃない
だから
つかまえてみたい
この腕のなかに
君を抱きしめたく

満開の桜並木の先から
戒めるためだけに
過去の封印を破ってまで
この今のぼくの前に
君はあらわれる

奇跡をこえたところで
起きている世界のことは
知らなくてもよいから と
詩のステージを眺める
観客の暗い渦の搦手から

今回はそつと
つぶやいて消えた
 

幻聴 だったのかな
 
 

投稿者

東京都

コメント

  1. 江戸時代から現代へ
    時空を超えた飛躍
    第一義なのか
    道化なのか
    難しい
    と、思いました

  2. @野鳥倶楽部 さん
    こういうコメントできる人に興味津々なのです。

    過去の歴史でも未来の予測でも今を基準にしか
    情報は成立しないのだから、SFとして読んだら
    たしかにコメンテイター野鳥氏の書いたとおり。

    けど、今の情報としての今のわたしは今生きて
    毎日をリアルに充実しようと必死なので翻って
    新鮮なコメントです。ありがとうございますね。
     
    またね

  3. @足立らどみ

    頂いた返信を念頭に
    詩を読み返してみますと

    髪を振り乱して、半鐘を叩くお七
    その行動を
    他人事と分析し道化と見るか
    自分事と慮って第一義と取るか

    他人事と自分事の視点、
    どちらを自分は向けているのか。
    自分自身に、隣人に、世界に、さらに時代を超えた人々に

    宇宙を捉える時、
    ミクロなスケールの量子論に立ち返りますが

    この詩は
    昔々の一人の女の子から
    スケールが横にも縦にも
    ぐんと広がって行くようです

  4. @野鳥倶楽部 さん
    再度のコメントありがとうございます。
    話ズレますが日本では例えば亭主関白っていますけど、
    あんがい女房の尻にしかれているとこもあり、つまり
    過去の封印を破ったのは夫婦や恋人の場合、どちらなのか と
    疑問を感じることがよくあります。人間関係って複雑です と
    ふと改めて思ってみました。今後ともよろしくお願いします。

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