祝典

祝典

彼には、ネコ科動物のものに似た耳と尾の他に、与えられたものがなかった。なにしろ財産らしい財産は親兄弟に根こそぎ持っていかれたし、幼い頃から働き手としての役割以外のことは、望まれないどころか、邪魔された。

文字を書いていれば紙が勿体無い、鉛筆一本買ってくれと頼めない、食い物は俺達の分を作れ、お前は、どうせまともに人の飯の味も分からないんだと罵られた。とぼとぼと公園に出掛ければ、そこで子供たちに、「卑しい」と謎の言葉をぶつけられた。

そう、彼はその生まれからして、ものすごく分かりやすく差別された。

だが、本人は気にしたこともなかった。というより、間違ったことだなんて、自分で理解するだけの知識が蓄えられる前の話だったのだ。人権、最低限の生活、約束を守ること。母は訳の分からない人殺しを心から喜び、父はあらぬ方向を見て神へ祈りを捧げていた。

兄弟は何処で何をしているか分からないぐらい家を空け、いたとしてもこちらを見なかった。ひとりぼっちになって、仕方がないから書いているものが詩だということも、彼が信じようとしているものが神だということも、全然、誰も気が付かなかった。

彼らに見えているのは、ねこの耳と、尻尾と、彼の優しさという名前の弱さだけだった。将来的にこれは、自分の性を売って暮らすことになるだろう。そのぐらいのことは考えただろう。そうでなければ、きっと体よく自殺してくれる筈だ、と。彼も、彼の周りにいたのが家族だとは、思っていない。

「猫に神はいねえんだよ」

言葉を理解する程度に大人になった時には、普通の人のように笑うことも出来たが、あえてそうしなかった。皮肉を言えば嫉妬され、星を見れば疑われ、持ち前の誠実さが人の期待を裏切った。やることなすこと、敵視される。彼の能力が発現した後も、それが変わることはなかった。相変わらず何をする前から勝手な妄想にうんざりさせられる。

猫に神はいない、それは独り言だったが、真実だった。そして多分、人間にとっても、いないのだ。神なんて。彼はあだ名の通りに行動した。まったく身分違いの恰好を、あだ名された通りに着こなしてみせた。周りは特に反論をすることが出来なくなった。何せ、そうあれと望んで嗤ったのは、自分達自身だったのだ。

なれるんなら、俺がなってやってもいい。彼には星が読めた。明日の洪水が見えたし、明後日の飢饉が分かった。くるしい、と言ったことはなかったが、次第に周りの人々は何かに感付き始めた。その力の根源が何か。だから余計に怖がった。ただの虐待児である彼を自分達よりも高次元の存在として崇め奉った方が、国の益になると判断してしまった。

「たすけてください」

彼女は、自分に取り縋って開口一番そう言った。何を助けて欲しいのか分からなかったが、彼は優しかった。元から丸い目をもっと丸くして、まだあどけなさの残るその少女を見ていた。振り払うことも、顔をしかめることも出来たのに。そして、とりあえず安心させるために抱き締めた。友達や家族が心配な時、そうすることがある、と本で読んだことがあったのだ。

したいからしたわけでもなかった。腕の中でびっくりしているので、なおさら力を込めた。言葉なんていらない。彼は自分が今までどれだけ言葉に裏切られてきたか、分からなかった。助けを求めている人を救うためには、行動で示すしかないし、それは時には誰かを愛するのと同じなのだ。

戦災孤児だ、と心の中で呟いた。その時、青年は国を護る一柱として、神になる儀式の最中だった。確か、これでいいんだよ、と彼は一人頷いた。焦点の定まらない目で厳かな祝福の音色を聴きながら、そういえば産まれて初めて人を抱き締めた、と思いながら。

信じられること。彼は確かにその瞬間から、彼女にとって唯一の、神になった。

投稿者

神奈川県

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