他人の詩を読むことはあまり好きでない
他人の詩を読むことはあまり好きでない
興味がないのだ
好きなひとが好き
好きなひと以外はナス
コンクリ打ちっぱなしの壁に囲まれて
声を上げて泣いたら
声を上げて笑いながら
アイスノンを瞼にあててくれた
わたしの知ってるやさしい方法でないからと言って
それがやさしさではないとは言い切れない
それがやさしさではないとは言い切れない
好きなひとの詩はもっと好き
ナスたちの詩は
デタラメなヒーローが世界を救えなくてうなだれるような感覚だけど
だからと言って
それが詩ではないとは言い切れない
他人の詩を読むことはあまり好きでないわたしだから
ここまで読んでくれたあなたが好き
否応なく好き
*
コメント
こういうことをいわれるのは不本意でしょうが、底辺の生活を綴って最近亡くなった某芥川賞作家に似た色彩を感じました。社会、福祉、医療の矛盾の深みにあるのはけっきょく人間存在なのでしょうね。勝手な提案ですが、散文詩に拘られるのでなかったら稀有の体験を小説の形で表していただきたいなと思いました。
上のコメントは他の方に宛てたものです。こちらに出たのはバグがあるからでしょうか? とりあえずお詫びします。
タイトルにやられ、そして最後の一行から、メールの文面にハートマークをつけて、男をたくみに勘違いさせる小悪魔的乙女心を感じざるを得ないナスなのであった
デタラメなヒーローが世界を救えなくてうなだれるかぁ
なんて、俊逸な表現かしら
いつも、会いたいと思う仲間には会えずに孤独にでも力を発揮して
寂しいけど周りからは強いと思われ
愛は様々な異国の匂いや東南アジアの街角の匂い
嫌な奴が俺に衝動的にふっかけてくる
それでも器を鍛えた詩人は
その人を好きと言ってくれます
ありがとう
表現者は表現することが重要なのであって、既に表現されたものに興味を持てないのは仕方がない。それは本質だけど、フェアじゃない気もする。でも、好きな人に好きになってもらいたいためだけに詩を書くのが一番表現らしいとも思う。
babel-kさん、大丈夫です!お気になさらず
あああくん、子宮にへばりついてる20代の頃の気持ちを引っ張り出してきました笑
ちなみに君はナスではないよ、ポエコラ読んだ?寄稿したのだけど、あああくんの詩選んだ
那津さんて、おっきくて力強いイメージですよね、特に詩は。その愛の匂いのように、どこかに置き忘れたものが、ふとした瞬間に脳に強烈に香る。でも置き忘れられてるからちょと寂しい。そんな感じ。
こちらこそ、いつもありがとうございます
トノモトショウさん、そのコメント、どんぴしゃですね!そんな風に考えていなかったですが。なんで興味持たないのかな?って思ったら、そっかもう表現されたものだからなのかってしっくり。
詩って一方通行になりがちだから、難しい
いや、詩に限らず、かな。現代は色々な方法があるけれど、でもわたしはなんだかんだ、ここが一番合っていると思っている
ああああでも矛盾してるけど、対話できる場所もあればいいな。すみません、どんどん独り言みたいになってしまいました。。
人様の書いた詩を読むのは「あまり好きではない」どころか、正直なところ苦痛だったりします。たいていの詩は詩的である以前にとても私的で、そこに描かれている「わたくし(ぼくから見たら、あなた)」に共感も感情移入もできないことがほとんどなので。そういう意味で、詩はマスターベーションだったりラクガキだったりするわけですが、だからこそ少しでも他人の感情を揺さぶるマスターベーションや、他人の心にブッ刺さるラクガキを演りたいと思っています。
イチカワさんのラクガキはたいていブッ刺さりますね。
大覚さん、めちゃ正直ですね!笑
そう、ほんとにそうなんですよね。自己満なんですけど、心のどこかでやはり承認欲求もあり、自分のひとりえっちを誰かに見てもらいたくなる。。
でも!大覚さんとは相思相愛(笑)のようで、ありがたいです^ ^