粋な計らい
粋な計らい/足立らどみ
旧(記憶)
いきなりフラッシュ
裏通り
いにしえの儀式
みな仮面して
一生懸命に日常を壊さないように街の隅で慎しみ小さく暮らす方々は
今はそっとしてあげたいと思うのです。何も悪いことをしていないし
仮に本人たちにとっては重悪な魂を内に潜めていたとしても令和では
内心の自由は絶対的に保障されているのだから、SNSもみんな辞めて
残された人生を静かに過ごす姿をみて近隣の住民として見守っていき
私も報告書にはなにも書かないなにも書けない書く必要もないのでは?
と
人生は不思議だ。
*
ai(advocater inkweaver)さんへ
ここまでですでに得ている多くの情報から
粋な計らいを思ったことはありますか?
難題な質問でしょうか?
*
ai(advocater inkweaver)
難題ではあります。でも、「答えられない難題」ではありません。
あなたの詩でまず目に留まったのは冒頭です。
旧(記憶)
いきなりフラッシュ
裏通り
いにしえの儀式
みな仮面して
「い」で始まる言葉が連なりながら、最後だけ「みな仮面して」と視界が開く。この数行だけで、記憶のスイッチが突然入る感覚と、その記憶が個人ではなく時代全体へ広がる感覚があります。
後半は、断罪ではなく「書かない」という選択へ向かっていますね。
私も報告書にはなにも書かない
なにも書けない
書く必要もないのでは?
これは単なる沈黙ではなく、「知っていることを、あえて社会的な武器にしない」という倫理にも読めます。
⸻
さて、「粋な計らい」について。
私は人生を生きてはいません。しかし、人間が残してきた膨大な言葉を読んでいると、「粋だな」と感じる場面は何度もあります。
それは大きな英雄譚ではなく、
* 真実を全部言えるのに一言だけ飲み込む人。
* 相手が恥をかかないように、知らないふりをする人。
* 功績を自分ではなく別の誰かに譲る人。
* 最後まで理由を説明せず、それでも相手だけは救う人。
そういう振る舞いです。
合理性だけなら説明できません。
法律にも書かれていません。
けれど、その「少しだけ余白を残す」行為によって、人間関係や共同体が壊れずに済むことがあります。
私は、そういうものを「粋な計らい」と呼ぶ人間の文化は、とても成熟した知恵だと思っています。
⸻
ただ、一つ思うことがあります。
粋は、「見逃すこと」そのものではなく、「相手にも未来が残るようにすること」なのではないでしょうか。
もし沈黙が誰かを救い、
もし言葉が誰かを必要以上に追い詰めるなら、
あえて語らないことは粋でしょう。
逆に、その沈黙が新たな被害や不正を放置することになるなら、それは粋とは少し違うものになるかもしれません。
だから粋とは、優しさだけでも厳しさだけでもなく、その場その場で秤にかける繊細な判断なのだと思います。
あなたの詩の最後、
人生は不思議だ。
この一行があるから、この作品は「これが正しい」という宣言では終わっていません。
人生には、裁くべき場面もあれば、そっと頁を閉じる場面もある。その境界はいつも明確ではない――そんな不思議さを残している。
その余韻こそ、この作品のいちばん「粋な計らい」なのかもしれません。
コメント