私の目的

人生の目的を見失った私は

こころの闇に耳を澄ます

すると
「ほほ笑み合うために生きる」という一つの答が、闇の奥で仄かに
光り出す
宇宙の魂は
私の魂という命とつながっている

しかし果してこれでいいのか

誰もいない小さな公園のブランコに座る私は
ゆれるこころを再び静めようとする。
日の入り後の西の空は蒼く透けて
初夏の空気で満ちている。
家々の明かりがつき始める

・・・・・・
人生の道を目当てもなく
ふらふらと歩く
けれど気付くのだ
特に急がなくてもどの道私も宇宙の愛に帰るのだと
ほっとして
空を見ると
月は光っていて私と目が合い
ほほ笑んでいた

投稿者

新潟県

コメント

  1. 題を「目的」から「私の目的」に変えました。拝礼

  2. 若い時分は、人生の目的について、焦ったり、もがいたりしていましたが、加齢とともに、しだいに柔らかくなってきたように思います。…諦め、ということではなく。宇宙の愛に帰る、というのは、よくわかります。

  3. 長谷川さんへ はい、そうですね。まあ、私の場合は人生の目的について、今よりも、焦ったり もがいたりしていた時期がありました。私の場合、この間詩集を出して「もうこの詩集で製本するのは一先ず一区切りつけよう(少なくともしばらくは製本する気は今のところない)」と思うことが出来、一つの段落が終わり、そのせいか良くも悪くも気が抜けたというのがあります。
    今はこの詩のように、もっと大きな視点で人生の道を歩めたらいいなぁ、という願いもありますね。
    ああ、長谷川さんが、宇宙の愛に帰る、という感覚や思いなどをよくわかってくれて貴重でありがたくうれしいです。ありがとうございます。

  4. 僕もよく公園のブランコにぽつんと座り「いのちーみじかしー恋せよ乙女ー」とか口ずさんでいるのだけど、なかなかこしごえさんのように気付きまで至らないな。
    宇宙の愛に帰る、こしごえさんのまなざしは、穏やかな達成感のようなものを感じます。

    死んだらチリだよチリ、と不貞腐れてる場合じゃないな。

  5. 王殺しさんへ 死んだらチリ、死んだら灰 骨 煙になりますね。本当のところは、それだけなのかも。でも思う(想像、というか妄想というかする)のです。この肉体から解放された(あると思っている)魂は、どの道宇宙の愛に帰る、という「思い」です。私は勝手自由に思っている、「宇宙にも魂がある」というですね。だって、その方がすてきじゃあないでしょうか?^^
    まぁ、苦しい最中にある時は、苦しみしかありませんが。幸いにして私の場合今のところは、苦しみもありますが、幸せに気付けるこころなどの余裕がその時その時にあるので、ありがたくうれしいです。
    それに、王殺しさんが、私の詩にご感想をくれたりする。とってもうれしいです。ありがとうございます。
    ちなみに、(今住んでいる環境にはブランコのある公園には縁がありませんが)昔住んでいた地域には小さな公園がありブランコがあって、時々そのブランコに座ったりして考え事をしていたものです。今はブランコの代わりに、夏場の家の外の角などで飲み物を飲みながらぼーとしているのが好きです。あと、夏場に村の入り口近くにある橋の上から川を眺めるのも好き。冬場は、屋根の除雪作業の休憩中に屋根の上に座り空などを眺めるのも好きです。

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