日傘とシュシュの無言の会話

日傘とシュシュの無言の会話

  
  令和の真夏の都心
  男の昼間の歩く姿
  日傘をさして、耳にはPods
  緑色のサングラス
  違う時空の人達も普通に居て
 
   新開発の透明な断熱材は
   熱だけではなく音も光も
   もしかしてそのうち既に
   時空も違う被膜の外宇宙
   わたしはどこの人なのか

   娘子の髪を纏めるシュシュは
   親の領分には入らず
   なのでわたしも
   気づいていても
   そのことには触れないまま
  

投稿者

東京都

コメント

  1. 意味が全くわからないのですが、どうも気になって何度も読み返しています。

  2. @たかぼ さん。ご無沙汰しています。
    また、コメントありがとうございます。

    朝起きて母娘のテーマの作品を読んでの連詩を
    ここに独立して載せてみたところもありますが

    きっかけはどこで生きていようとどの時を
    過ごしていようと現代人は孤独なんだろう と
    いう、ふつうの考えや悩みが先にあります。

    そして人は孤独であることを思考できる生命体
    なのだから、飛躍して、人の生きている地球は
    「宇宙のみなしご」なのだろうと感じていました。

    この星に人なんか生まれ住まなければ良かったと
    思ってしまうと、民主主義の基本理念の弱者保護から
    「宇宙のみなしご」を最初から内在していることは優しい
    のに、現実は厳しいのは思考がメタな外宇宙からか と

    翻って親孝行したいときには親は無しと言うけど
    親からしてみたら別に親孝行しなくていいから
    若いうちは少しでも充実した人生を送ってほしい
    それが親孝行なのだとそういう感情は正だったのか と

  3. 私は(らどみさんの詩だけに)試しにGrokに訊いてみました。
    次の詩をGrokさんなりに読解してください、と。

    ご提示の詩「日傘とシュシュの無言の会話」の、私なりの読解です。
    この詩は、表面的には令和の真夏の都心を歩く「男」の姿と、娘の髪を束ねる「シュシュ」を描きながら、実は「触れないまま」「無言」で交わされる距離と境界の話をしているように感じます。日傘とシュシュは直接会話しない。むしろ、語り手の視線を通して、静かに並置されているだけです。

    第一連:日常に溶け込む「違う時空」
    令和の真夏の都心を、日傘をさし、AirPodsをつけ、緑色のサングラスをかけた男が歩く。かつては女性のものとされがちだった日傘を、男が自然に使う姿は、すでに「普通」になっている。語り手はそれを「違う時空の人達も普通に居て」と受け止める。ここでは「違う」ものが排除されず、風景の一部として受け入れられている。現代の都市の寛容さ、あるいはただの慣れ、を淡々と映しているように見えます。日傘は熱を遮る道具であると同時に、個人の空間を軽く囲む「被膜」のようでもある。

    第二連:断熱材から宇宙へ、そして自己への問い
    ここから急にスケールが広がります。「新開発の透明な断熱材」が熱だけでなく音も光も遮る、という科学的・技術的なイメージが提示され、さらに「時空も違う被膜の外宇宙」へと飛躍する。断熱材は物理的な分離を可能にする道具だが、それが時空まで分離しうるかもしれない、という想像は、現代のテクノロジーがもたらす「つながりすぎない自由」や、個人が自分の宇宙を持つことの可能性を暗示しているように読めます。そして最後の「わたしはどこの人なのか」という問い。
    日傘をさす男を眺め、断熱材の比喩を重ねた語り手が、自分自身の位置をふと見失う瞬間です。都市の風景に溶け込みながらも、どこか自分を外側から眺めているような、軽い疎外感と好奇心が混ざっている。

    第三連:シュシュと「触れない」という選択
    娘の髪をまとめるシュシュ。これは親の領分に入らない。娘の自己表現や身体の一部であり、親が勝手に手を出さない領域として尊重されている。
    「気づいていても/そのことには触れないまま」——ここがこの詩の核だと思います。語り手(おそらく親)は、シュシュが象徴する娘の自立や変化に気づいている。しかし、それを言葉にして確認したり、介入したりしない。日傘が物理的な「被膜」であるのに対し、シュシュは人間関係における「触れない境界」を体現している。

    全体として
    日傘とシュシュは、どちらも「分離」や「境界」を静かに保つ道具です。
    一方は熱や視線を遮り、もう一方は親の干渉を拒む。
    語り手はそれらを見て、自分もまた「触れない」選択をしている。無言の会話とは、言葉を交わさないことで成立する、互いの領域の承認なのかもしれません。令和の都市では、違う時空の人々が普通に共存し、技術はますます「断熱」を精緻にし、親子関係さえも「触れないまま」を美徳のように扱う。その中で「わたしはどこの人なのか」と問う語り手の声は、少しだけ孤独で、しかし優しい。この詩は、断絶を嘆くのではなく、断絶を受け入れる現代の静けさを、淡く、正確に切り取っているように私には感じられました。

  4. @たかぼ さん
    再度コメントありがとうございます。
    また、Grokの読みもとても良かった
     
    個人的には、私の詩だけに試しにGrokに訊いてみて正しいと思います。
    私にとっては個人的には詩と連詩のかきねが他の方たちよりもひくい
    というより、連詩衆がみんな去っていって居なくてもひとりで連詩を
    しているほどの連詩好きがこうじた先で「詩とは何か」と悩んでますので
     
    ただ、私の作品そのものも一つひとつが独立できないため今まで書いている
    ログから、三島由紀夫の仮面の告白やドビュッシーの子どもの領分も有るかな と
    アップしたあとに気づいていたりしましたが、直接言語化していなかったので、
    触れる必要もないことですね。善悪の判断基準を示すこととしてICCの考え方なんて
    全く触れていませんでしたし。歳をとっても言葉はとても不思議です。心より感謝

  5. らどみさんこんばんは。
    たかぼさんとのやりとりを拝読しまして、この詩が連詩なら、どこと繋がっているのか知りたくなりました。
    この詩を読んで私は混乱していまして、繋がりがわかったら混乱を少しでも薄くする為の糧になるかもです。

  6. @たちばなまこと さん、コメントありがとうございます。
    書いたとおりなのですが、詩と連詩のかきねが他の方たちよりもひくい
    ので、私が伝えたいことはかえって伝わらない不安もあるのですが、、
    https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=399144&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D30
    かえって自分と相手の境界線が曖昧にならなければと不安、危惧もしてます。皆さまに愛を

  7. 都心の中の、点景、というのかな。写真のイメージもあるのですが、そんな断片的な情景が浮かんできました。この詩作品をもう少し膨らませて、掌編作品にしても面白いと思います。

  8. @長谷川 忍 さん、ご無沙汰してます。
    掌編作品になるのか読み返してみました。たぶんですけど、書いてないことは
    良心的な理由とかマナーや法的な問題とかで書いていないから点景になるとこ
    もあるのかなと思ってしまいました。なのでもう少し膨らませると、シュシュは
    言葉を知らず多忙なサラリーマンのお父さんとはふだん会話してこなかったから
    自分もふつうに話しすることができているということに気づいて堰を切ったように
    話し始めていたとしても、なにかチグハグしている部分は親子関係でとぼけていて、
    親側としては、職場ではセクハラ委員会の書記もしていたお父さんなので、つい
    シュシュをお母さんのレースを利用して作ったことに気づいたとしても、女性の
    服装などに対して感情を伝えることもハラスメントになりそうなわけで、父娘関係に
    無意識に持ち込んでしまって、そこは触れないままで話しを進めていたというか
    全部は「物語り」の上での話しとしてですけど、ふつうの年配社員の枠組み内での
    考え方しか出来ず、私が書いてみせてもつまんないだろうと思いました。
     
    今回、勝手に発詩にさせて頂いたココワ共和国でも活躍なさっていた原作の、
    母娘関係の微妙な関係を表現できている作者の作品ならば、田中宏輔さんも
    似た評価していたと思うので、二番煎じ茶ですが可能なのかなと思いました。
     
    私の場合は、、、
    個人的には子供のときは家中の電化製品を分解しては元に戻せなくなって
    (特に時計!)、なんどもなんども親に怒られた記憶があるので、まずは
    納得いくまでは詩とは何かと考えていたいものです。そこからです。

    、、、

    ひととおり見回したら、死ぬ前には一篇くらいは(笑)

    あゝ、言いすぎた。コメントありがとうございます。

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