春の夕暮前に
悲しい 涙が人知れずぽろりとこぼれた
今
空ろな
空ろな空気で満ちている
胸を
さぐる
さぐると
悲しみはどこか
どこかと
つながっている
私は
どの道
どこかへ行くのであります
行くのでありますが
それがどこなのか
どこかのどこかの
どこかなのでありました。
いのちは原初から一部分だけ欠けている。
いのちが原初から一部分だけ欠けている
私はどこへ行くのか分からない。そして
いのちが原初から一部分だけ欠けている
私は何かを求めるのでしょう
求めるうちに自分が一体何を
求めているのかますます分からなくなり
悲しくなるのでしょう
私は
光と共に
ほほ笑む
悲しみが愛に帰った
コメント
「いのちは原初から一部分だけ欠けている」思い起こせば古くはプラトンは「饗宴」で男と女は元々1体だったものが引き裂かれたものだと言いました。生命はもともと半分欠けたものなのかもしれませんね。愛も恋も欠けたものを補おうとする欲求です。しかしそれでも完全体にもどることはできないのです。
たかぼさんへ ああ、貴重なお話をしてくださいまして、ありがとうございます。
うむ。宇宙はビッグバンによって生まれた、と言われていますね。そしてみんな散り散りになった。宇宙の魂といういのち自体がバラバラ。そこから生まれて受け継がれてきた私たちのいのちも何かが欠けている。ん。
そう、たかぼさんの言う通りで、だから愛も欠けたものを求め合うのだろうと思うのです。言ってみれば、だからこそ良くも悪くも存在同士がお互いに存在しているのでしょうね。
これらのことも、いろいろな意味で、ありがたいです。
内省的でいていのちや悲しみや愛を宇宙的な広がりのある言葉で捉えていく素敵な詩だと思いました。
あぶくもさんへ ああ、あぶくもさんが そう言ってくれて ありがたくうれしいです。ありがとうございます。
うむ、言われてみれば、この詩はほとんど内省的ですね。しかし、この詩から宇宙的な広がりのある言葉を感じてくれて貴重に思います。そう、いのちや悲しみや愛なんですよね。
あぶくもさんがこの作品を素敵な詩だと思ってくださいまして、とってもうれしいです。
イチカワさんへ イチカワさんが、この詩とリンクしてくれたようで貴重に思います。ありがとうございます。
感覚を言葉に表すというのはとても難しいことだと思います。イチカワさんが、それを出来るだけこうして私に伝えようとしてくれることも ありがたくうれしいことです。
この作品には書いていませんが、私は宇宙にも魂があると「思って」いる者です。なので、宇宙にも愛があると「思って」います。思うことは自由。まあ、時と場合にもよるでしょうし、中には「思う」ことも自由には出来ない人もいるでしょう。でも、意識すれば、思えば(想像すれば)、いつでも宇宙の愛に帰られる、と私は思っています。
愛。宇宙の魂と自分の魂はつながっている。そう思います。