限界のソネット
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一枚の白い紙がそこに差し出されている
そこには何も書かれてはいないのだが
一度濡れて乾いて波打って歪んでいる
ざらついた質感に白檀の香りが仄かに佇む
一度グシャグシャに丸められたような
細かい皺を一面に数多く携えている
端が焦げていたり年月を経て黄ばんでいたりする
私はそれを詩であると受け取るだろう
書でも絵画でも造形でも舞踏でも
音でも闇でも俄雨でも晩餐でも
あなたからはじめて漏れ出た言葉や声も
声にすらならなかった緊張や弛緩もそう
それであることを超えて迫り来るものを私は愛する
私はそれを詩であると受け取るだろう
コメント
読者は、この白い紙の、空白、余白に、どんな色を染めるだろう。どんな言葉を紡ぐだろう。どんな想像を込めるだろう。そんなことを考えました。タイトル、いいですね。…限界のソネット。
昔、本文に何も書かずに「沈黙」というタイトルで作品を発表したことがあったので、ものすごく共感しました。すべてが詩になるのは詩人の特権ですね。
詩は、作り手だけでは成り立たない。しかし受け手だけなら成り立つと私は考えています。その場合、作者は最初の受け手なので書かれた詩は即、詩となります。問題は書かれなかった詩ですが、例えば私はときどき、建築物を見て詩を感じます。ですからその場合の建築物はまた詩であると言えましょう。ですからこの詩のメッセージはとてもよく理解できます。
イチカワナツコさん、こそばゆw
ありがとうございます。
長谷川さん、ありがとうございます。
タイトルはネット詩の限界から、もっと広義で様々な限界に思いを馳せつつ付けました。
あああさん、ありがとうございます。
あああさんの「かっこいい」には「かっこ悪い」を含めて受け止めておくのがちょうど良さそうですかね(^^)
トノモトショウさん、わかります。
そういうの昔いろいろやった記憶があります。詩をどこまで解体できるか、とか。自分は詩がいちばん自由であってほしいなと思っています。
たかぼさん、とても共感します。
建築も確かに…。
太陽の塔みたいなものも太郎さん的に言うと『何だこれは⁉︎』ということ自体が、私の愛するもので、かつ詩でもあるなぁとも思います。
共感したり五感を使うことを思い出したりしました。
しんみりといいなぁと感じます。
ってなんだろう(かわいい)とgoogleにコピペしても表示されなかったので今度別の方法で調べてみます。
たちまこさん、ありがとうございます。
共感してもらえて嬉しいです。
でも、後半のコメント、何を調べようとしてくれたんだろう?
すっごい気になる…(^^)