
ロック*ン*ロールの死 (日本海)
はて、ピンホールからゴンズイが駆ける
武蔵野平野の霰に降られて、ミミカキグサが痛いと言う
スカラベの愛悩のするどくけわしく隅田川的にはマーラーで
タイマイの浜辺には近松の芝居が見られる小屋が立つ
〈へど〉と言う俳優が、〈もぞ〉と言う監督にケチをつける
舞台は分厚い木の板で、そこには海からの砂がやって来る
〈監督さん、そいつは変だよ〉と〈へど〉が言う
もちろん〈話〉はすでに出来上がっている、もうそれでおしまい
あんたの意見など聞いちゃいない、降り出した雨に釣り人も駆ける
芸術は、しりこのままぬぐい、反逆人生を描いて欲しい
夜が深くなるとピアノと、ボイソンのピンナップガール
ちゃんちゃらおかしいフルーティな絵画哲学の娘たちが通る
石もて汝のおもてをうて、自称する自傷する自尊する自損する
やけに頬骨が一番のヒッコリーの棘でジャンジャンジャン
君たちがスカンジナビア半島のカラス貝で唇を切れ
君たちがホモルーデンスの馬鈴薯の鍋掴みに本番の痛み
けれども、スゲ、パルプ、印画紙、モンロー主義
その海溝のうすっぺらい身体部位の反射する脊髄器官のポロシャツの
逃げるジャン、万葉集のジャン、アマゾンのニジュールの金鉱のジャン
ヒロポンの米軍基地にタイヤがめりこんで、スパイクがベースを蹴って
はばらきよきよの同心町の腹膨らんでワルシャワへ行く
舞台裏ではショートする火花の、電源は賽の河原に、本土攻撃の歌唱の俺たちは
チャンプはカレーの市民ににわか作りの虐殺の用意で
古くは蒙古の原野で、くみあって、なげとばして、うっちゃって
そのボイジャーの信号をキャッチしている、頑是ないそのチャイブを
俺は飛ばしている、俺は死んで行く、俺は意味などない
このスポーティな半端的に哲学のアクションスター、まだまだ青い
そこで海水に左の眼を洗い、日の神を取り出している
自在に、そこではジャンプして、そのうろたえて、その脳漿を微分する
白亜の神殿に神々の自画像がガスパールの託宣を批難するはずで
そのひもろぎの、かんだからの、養命酒は滝壺に沈む
そのウイングはタキシードの砂浜にぴらぴらと砂を吐く
錯乱の肘掛け椅子はうらぶれたダヴィンチの北極海のミンスクである
いまだこのロケットチップの味わいがタムラソウの梅味を請う
ひびくものはみな、下津井港のコンテナ船にうらぶれて
やがてはハローのびんずる亭に、分流する、ぶんぶんぶん
のちの日よ、ノボリビルスク掘割に、ガムを噛んでは吐き捨てる
つうり、つりり、その子はホーリ、ギヤマンの、捩じり棒の
〈監督よ、そんならおいらはやめとくよ〉
分厚い木の板が悲しいぐらいに、ここじゃ浜風が眼にしみる
ギターをかついで自転車こいで実家の屋根裏に帰るばかり
えどの方では文明開化の花火があがると言う
佐渡の島から流れて来るは
北前船のオイランの
深きなさけの恋歌か
哀しき電線が海風に泣く
命の限りのその歌か。
コメント
このお題であっても、
坂本さん節炸裂ですね。すごく強烈な詩行の連なりです。
その海溝のうすっぺらい身体部位の反射する脊髄器官のポロシャツの
色々と他にもおもしろいのですが、ここが特におもしろいと感じます。
あらためて言われるまでもなく坂本さんの中ではロックンロールはとっくに死んでいてもしかすると現代音楽も死んでいてついでに演歌も死んでいるのだと思わさせられました。
ぽえ会における唯一無二のアヴァンギャルドの騎手のロックンロールがなりまくっては死んで、挙げ句の果てには日本古来の土着の歌さえも死んでしまった後に残るペーソスのようなものを感じたような感じなかったような。
チャイブに惹かれました。
名詞たちがコラージュされてリズムに唄っているようでした。
ゴンズイは外道ですけれど天ぷらが好きです。
平野から流れ出て、海溝も通り過ぎ、しかし蒙古に着いた時には、川もない、もう進めない…と思いましたが、痛快に暴れて、滝壺からまた流れにのって。コンテナ船で壮大な旅路にやれやれ、あとはギターかついで自転車で!
漕ぎ出した若さ、破滅、甦り、自分は自分に戻り。でも、私もまだまだ青くて、しがみつくのがやっとこさです。嗚呼、でも、この旅路楽しかったです。