奈良の鹿鳴
奈良の鹿の鳴き声は、幾つもの街を隔てても聞こえる。
ここに鹿はいない、ただ鹿鳴きを聴く私だけがいる。
かつて車に乗って奈良へ赴いた。
何も用意はしなかった。
ただ古い都だと知っていただけ、公園や古寺の間を小鹿が行き交うと。
小鹿に逢う覚悟もなかった
あの小鹿は、私が来ることを知っていただろうか。
もうすぐ出会える、そう思っていた。
正直に言えば、この一生、幼い頃から恵まれてきた。
多くの地を巡り、人の目に届かぬ景色を幾度も見てきた。
子供の頃、様々なことを学んだが、書くことだけは今まで続けてきた。
奈良に来たとき、私もこの小鹿のように愛らしく美しいと思った。
だから奈良を何度も綴り、心の慰めを探し続けた。
私は一生孤独だ。友人は私を、岸から遠く離れた孤島だと言う。
だがあの日、奈良にいた私は、人々のそばに近づけた気がした。
見知らぬ土地を、他の人たちと共に鹿に餌をやりながら歩いた。
あの日を夢と呼びたい。鹿鳴きは夢の音。
愛しき小鹿よ、夢の中でもその声を聞ける。
私は夢の奥へと歩いていく。
そして知った。美しきものの奥には、清らかで澄んだ心が宿るのだ。
私は悪いことをしたことがない。
小鹿たちもただ公園を歩くことに慣れ、訪れる人すべての安らぎを願っている。
彼らは人の心をわかり、憂いや悩みも知っている。
興が乗れば鳴き、疲れれば休む。日々、公園の隅を往き来する。
私も彼らと同じように、少しずつ歳を重ねていく。
大人になったら、円熟していくのか、それともますます感性に満ちるのか、まだわからない。
細かなことに煩わされず、大人らしく生きるべきか。
それとも浪漫を抱き、繊細に感じ、花を愛で、歌い、古を偲び今を語るべきか。
鹿の鳴き声は、まるで私に告げる。時は近づいている、と。
私も筆を執り、人生の日記を綴ろう。
もう奈良へ来られなくなった日、自分の書いた文字を眺め、
「また若き日のあの鹿鳴きが聞こえる」と呟こう。
あの日の小鹿が恋しい。彼女は私を覚えているだろうか。
私はあの日、彼女と同じように園を歩いていた青年だった。
今、奈良へ行けなくなっても、彼女が永遠に美しく、ときに鳴き、
人々に浪漫と勇気を与え続けてくれることを願う。
この一生で最も尊いものは、浪漫と美しさだ。
忘れてはならない。どこへ行こうとも、感謝を抱き、浪漫を胸に。
そうすれば、この身の多情と烂漫に恥じず、堂々と、この一生を無駄にしない。
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