ラ・メール

潮風が、あたしの輪郭を弄る
公衆トイレの便器に、花を産んだ
真っ赤な薔薇の花を
黄色の電灯に照らされたそれは、滑稽にも美しかった
その中の一輪を手に取る
美しいそれは、あたしの掌を赤く染めては砕けて消えた
あっけないな 命
トイレの鏡に映し出されたあたしは、ひどく憔悴した顔で
冷たい水道水で手を洗う
顔を洗う
化粧なんて、していない
ひどいクマ 醜い
ああ そうだ あたし、醜い

海岸沿いのマクドナルドは、煌々と明るい
それは夜への反抗
胃袋に、ハンバーガーとコーラを詰め込んだ
醜さを詰め込んだ、あの人を思い出さなくていいように
ハンバーガーを追加で注文する
レジに立つ覇気のない青年
厨房をかけまわるおじさん
ポテトが揚がる音
「ラインペイ」
間抜けな効果音
膨張する胃袋
あたしがますます醜くなる
あの人の面影が、意思に反して濃くなる
油にまみれた指先が、戦慄く

歩道橋の下を流れるヘッドライトは、おもちゃみたいに安っぽい
空へと立ち昇る紫煙は、旧い火葬場の煙突のよう
満月 たくさんの命が誕生する夜
醜く肥えたあたしの腹部には、無精卵しか存在しない
毎月律義に排卵されるそれは、誰にも出会えないままゴミとして、或いは下水の一部として、処理される
悲哀 なんて感情、いちいち抱いてらんないし
炭酸の抜けたほろよいを、車道へと注ぐ
それは、一台の乗用車を包み込む 羊水

命の砂が掌から零れては、海岸線を汚してゆく
鎮魂歌 踊り狂う恋人たち
あたしだけ、ひとり、歩み続ける
「――」
掠れた声であの人の名前を呼ぶ
現れる葬列
あの人の遺影
恋人たちの踊りは激しさを増し、あたしはひとりきりの観客になる
一糸乱れぬ葬列が、海岸線を埋める
並ぶのは、あの人の人生の登場人物
そこにあたしは、いない
恋人たちの影が、重なり合う
あたしの掌からは、変わらず命の砂が零れていて
あたしの足元に山となる
これは、誰の命

夜を奪う貨物列車の汽笛
黒衣の葬列は風化し、恋人たちは彫像になる
正しい朝がやってくる
あたしの醜さを照らす、朝
危なげに明滅していた一本きりの電灯が、役目を終える
水平線から顔を出す朝日
あの薔薇は、あの人に捧げたかったあたしの純真
昇華されなかった初恋
懈怠のうちに過ぎた時間
大人になってしまったあたし
醜くなってしまった、あたし

口内に含んだカラフルな薬剤を、ウイスキーで飲み下す
気持ち悪いと叫ぶ内臓を、拳で叩く
その作業を、数度繰り返す
目覚めを迎えた海鳥たちが、あたしの最期の景色
醜い脚で、海を漕いでゆく
あの人への劣情ごと携えて、海へ、海へ
いつかこの想いで海を満たして
あたし、あの人を、産みたい

投稿者

岩手県

コメント

  1. 独白のような綺麗な、そして限りなく黒に近い青色の感情に飲み込まれそうな詩に感じて、世界観に圧倒されています。すごく、美しく見えます。

  2. 八ッ橋様

    コメントありがとうございます。

    個人的には、ひどく独善的に自分の内奥をぶちまけただけの詩!というイメージでしたが、
    ”美しく見えます”と言って頂けて、恐縮です。

    ありがとうございました☆

  3. 失恋の詩と読めますが、そこに受精できず月経と共に排出される卵子のイメージを重ね、非常に強い女性性を感じさせられます。

  4. 自己をなぞってゆく過程を覗き込んでいるようで、どきどきしましま。

  5. たかぼ様

    コメントありがとうございます。

    『強い女性性』とのお言葉、とても嬉しいです。

    ありがとうございました☆

  6. たちばなまこと様

    コメントありがとうございます。

    ひたすらに内奥を辿った独白めいた詩でしたが、どきどきを感じて頂けて幸栄です。

    ありがとうございました☆

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