パピヨン
ある種の蝶がシッダールタの誕生の頃
葉のしげる大木、その濃い緑の葉裏に産卵していた
まだらの羽はそのままひろげられ
ゆるやかに閉じられ、ゆるやかに開かれる
人間が生きるために、作物をつくろうとするように
卵から孵った幼虫は、その樹の濃い緑の葉を
食べるのだ、人間たちが食べるように
ある種の精神は、戦いを必要としている
広げられた領土は、そうした精神にとっては
我が身体のように、一寸たりとも譲ることの出来ないものなのだ
王子として生まれたシッダールタは、その運命の故に
まるでひとつの「パピヨン」であり、幼い彼の手はすでに
王杖を握らされ、噴水のためにささげられ
かしづく者達の、それゆえ求める者達の、言葉は鎖である
成長すれば、すなわち王子は生殖を求められ
彼の内部のあきらかに存在を越えようとするものは
肉体を精神とは対峙するものととらえ
精神はそれはすなわち「本質を求めるもの」
しかしてそのまえに、肉体は美しい娘の肉体に
愛することを生物の当然の道として
「それは恐ろしい未来」を遠ざけようとするかのように
愛する肉体の行為の「快楽」の、パピヨン、
葉裏に小さくとも、真珠のような卵たち
そして彼の精神の安全な場所はすでになくなっている
王宮は、歓楽をやめることはない、楽士たちもまた
花咲く樹々の下には、甘いくだもの、甘いさえずりたちが
そして、彼は、夜を恐れる
暗い天空の星々は運命の避けられないことを告げる
すべてを捨てて、彼は行為しなければならない
それは、どのようにしても彼を招き、彼を連れ去る
どのような運命であろうとも、今はそれを受けるしかない
朝の光がまだ届かない頃、彼は男に命じて
馬を用意させる、馬はこの時が来たことを感じる
彼を乗せて、王宮の門を出る
シッダールタは今や、ひとりの人間である
精神は緊張し、肉体ははりつめている
「聖なるもの」を求めて、「聖なるもの」に近づくために
すべては無用のものとなった
王子の位も、父としての意味も、定められていたものはすでにない
彼は今ひとつの存在である
たしかに存在し、無用の存在であり、不明の存在である
しかしそれでも、彼の中にある何かは、彼にそこへ行くことを命じる
パピヨンが樹々の枝を離れ
よわよわしく、飛び立つ
風に流され
それでも
行くべき
場所へと
パピヨンは。
コメント
坂本さんの作品の中では難解でなく意味がすっと入ってくる作品ですね。
できれば、彼の内部から、「悟り」の内部へと、空想してみたいのです。ひとつのシリーズとして「ありえるもの」として、完全な「詩」の世界として。