残暑お見舞い申し上げます

夏の残り火が灯る
お盆過ぎの八月下旬ごろから九月
夏雲から秋の雲に
変わってきた
私の
こころの
変わらない
部分がかぼそくちいさく
光っている
どこへ行くともなく
さびしい
とか
悲しい
って言ってはいけない
なんて
誰が言ったの
私の気持ち
光っている
ほんのりと
夏と秋の間(あわい)で
死の予感に
死を覚悟しているが
死ぬまでの影が
苦しい
と影を味わいつつ
今に帰る
今はいつか
宙の葉書に
挨拶を
したためて生へ贈る

投稿者

コメント

  1. 夏休みが終わった登校日の朝、娘はこの世の終わりかのような顔で家を出ていきましたが、まあそれはともかく。まだまだ暑いのであまり意識しませんが、秋の虫が鳴いていたり、夕方の少し涼しい風とか、この秋に続くなんとも物寂しい感じって何でしょうね。死、といわれればそうなのかもしれない。

  2. @トノモトショウ
    さんへ うむ、夏休みは遠い日々になった今日この頃です。ふふふ。
    はい、そうですねぇ、こちらの朝晩は肌寒い位です。でも比較的涼しくなってきたとはいえまだ八月、日差しは日によってはまだ暑いですね。そんな中で、秋の気配も少しずつしてきました。
    夏というのは生命力があふれて盛りの季節なんだと思いますが、八月が終わり九月に入る頃というのはその生命力が下火になってくる時期なんだと思います。ここにはある種の喪失感が伴うのではないでしょうか。死というものは、いつにでも どこにでも起きる可能性があると思いますが、その死を予感するのがこの時期の一つの境目なんだろうと思います。
    まぁ私個人の場合、夏が終わると秋は短くてすぐに冬が来ちゃう、と思ってしまうからかもしれません。冬は下手すると屋根の除雪作業で、屋根から落ちれば死んだりしますから。そういうこともあります。
    ただ、私にとって、死は身近なものだという感覚がある。なので時々思うことですが、いつ死んでもいい、という位の死自体についての覚悟はあります。
    トノモトさん、貴重なご感想もありがとうございます。

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