ランナーズハイ
ジョギングで夕暮れの道をゆく
いつもと同じ川沿いの道
途中で道をそれて
無心のままに
坂を上っては下りているうちに・・・
ふと、見知らぬ場所へ出て
立ち止まる
そこはどうやら
古(いにしえ)の詩人達が暮らしたという
馬込文士村らしかった
ぽつんとひかる街灯の
さわさわ・・・囁く葉群れの
先へ入ってゆけば
夜風になった先人の
声も聴こえそうな気がしたが
臆病者のわたくしは
日が暮れ始めたのを言い訳に
道を引き返して
ふたたび、走った
坂を上っては下りるうちに・・・
心は空(から)になってきて
声なき声が、囁いた
――道は毎日あたらしい
誰の声だか知らないが
脳裏に入って、離れない
やがてよれよれ
くたびれはじめた僕の傍らを
ウーバーイーツの自転車が
すーーーっと過ぎて
夜の帳(とばり)の向こうへ
小さくなっていった
コメント
ハイになったことで古に触れるものの(それも自ら入り込んだわけじゃないってのがオツ)、そのそばを現代の象徴としてのウーバーが走り去るってニクい演出だなあ。
トノモトショウさん
この詩のツボを汲んでくれてありがとうございます。
ウーバーイーツは実際に通って行ったと同時に、この詩の演出になっています(^^)
剛さんは貴重な経験をしましたね。
――道は毎日あたらしい
というのは、私も同感です。誰の声なのかは、この際分からなくてもいいのではないでしょうか。その言葉が尊いと思います。
すてきな声を聞けましたね。
こしごえさん
ありがとうございます。
風の声であると同時に、自分の内なる声でもあるようです。
素朴な日々に、何か新鮮なものを見出す視力を養いたいです。
――道は毎日あたらしい
このフレーズが活きていますね。ジョギングの呼吸、リズムと重なり合い、文士たちの憧れとも重なります。
長谷川 忍さん
ありがとうございます。素敵な瞬間の重なりを、書いてみました。
今と古とノスタルジーと現代が重なり合って、味のあるジョグになっています
そこに、夕方に立ち寄りたいです
那津na2さん
詩は、時間を行き来するものかもしれません。