どの道
永い神経を
通る
山鳩の歌は
愛し続ける
愛を
告白してから
沈黙する
無縁塚の
石の冷たい肌に
青々とした苔の光
雨上がりの光
晴れていく
空の下で いつになく
思い出している
あの時の
重さある
体を
失い
ここにある
魂(いのち)の
気配を
漂わせる
予感
自問
約束
さまざまな
一つが
光る風に解ける
その時まで
さよならは取っておく

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コメント

  1. こしごえさんの詩には私のそれとは異なりひとつの強い厳かなモチーフが背骨のように通っていることの素晴らしさを感じます。喪失と獲得、生命と霊感など、その境界がなくなるほどに真理とおぼしき世界に迫ってゆく姿が唯一無二だと思います。
    最後の「その時まで さよならは取っておく」という決意にも似た表現にグッときます。

  2. @あぶくも
    さんへ ああ、あぶくもさんに そう言ってもらえて、非常にうれしく光栄に思います。ありがとうございます!
    うむ、あぶくもさんだから正直に申し上げれば、この詩は、最近の作にしては私なりに 所々ちょっと冒険をしました。まあ、普段から時々思うことをベースにしてはありますが。
    あぶくもさんから素晴らしさを感じるや唯一無二だとかと言って頂けるのはとてもありがたい。

    うむ、ほんとうの「さよなら」は、死んだからとかだから「さよなら」なのではないのでは、と思っちゃう。「その時まで」「さよなら」ではないでしょう、と。うん。
    そこに グッと来てくれて うれしいです。やったー。
    あぶくもさん、いつも私と魂同士の交流をしてくれて ありがとうさま☆☆

  3. 無縁塚から声が

    森と身体から
    魔法のように
    歌が流れる

    全ての感情が
    返って行きます

  4. @那津na2
    さんへ ああ、那津さんが、この詩の無縁塚などから声と歌を感じてくれて貴重でありがたく思います。
    そうやって詩からさまざまに感じたりしてくれたことをこうして私に伝えてくれて とてもありがたくうれしいです。
    そうですね、那津さんが、全ての感情が返って行くと言ってくれて、この詩の魂(いのち)も喜んでいると思います。
    ありがとうございます。

  5. 読後、異界の気配を感じました。異界と、切なさと、こしごえさん独自の柔らかな誠実さでしょうか。ある文筆家が「自然元素」という表現を用いていました。この詩も、自然元素かもしれません。

  6. @長谷川 忍
    さんへ ああ、長谷川さんが、この詩から異界を感じてくれて、やったー、ってなりました。まあ、この詩は、人間の常識を超えたものにしたかったので、長谷川さんにこの詩から異界を感じてもらえたのはありがたいです。
    そして、そうですねぇ、ここのところは記憶にある限りでは、出来るだけ「悲しい」とかいう感情を表す言葉を使わないで、「悲しみ」などを感じてもらえる作品を書こうとして書いています。なので、長谷川さんに「切なさ」などを感じたりしてもらえたことは良かった。
    んー、「自然元素」ですか。少し検索してみましたが、その文筆家さんが言う「自然元素」というのはちょっと分かりませんでした。
    でも、今の時代、「人工元素」というものが作られる時代。
    そういう意味では、長谷川さんがこの詩を「自然元素」かもしれませんと評してくれて貴重でありとてもうれしいです。ありがとうございます。

  7. 感じるままに読ませて頂いたのですが、ひとつひとつのモチーフが違う形や色のビーズの様で、光の加減で見え方も変わり、霊というタイトルに繋がると思いました。

  8. @たちばなまこと
    さんへ ああ、たちばなさんが そのように感じるままに読んでくれて とてもうれしくありがたいです。ありがとうございます。
    はい、そうなのですねぇ、うん。昔、ある詩人の方に、「こしごえさんは、俳句をやってらっしゃいますか?こしごえさんの詩は俳句のような感じですね」みたいなことを言われたことがあります。私はその当時、俳句はしていませんでしたが、たぶん そうなのでしょうね、全ての私の作品に言えるとは限りませんが私の詩は俳句的なのかも。(もしくは短歌的?)
    それというのも、こう思って詩作している部分があるからです。「(時には)言いたいことを敢えて言わないで、それを表現する」みたいなね。例えば、「悲しい」という感情を「悲しい」という言葉を使わないで、例えば「私は愛を失った」とかいう表現にする、とかね。
    あんまり作者の言いたいことを具体的には言わないで、敢えて書かない部分を出すことで、読者に自由に感じたり想像したりして頂く。まあこれには、賛否があるでしょう。作者のなまけと とられる場合もあるだろうし、一方では読者を信頼して敢えて具体的にはしない、とかですね。
    あと、おぼろな記憶なので、どなた、とはハッキリ とは言えませんが、(たぶん大岡 信さんが、正岡子規のこと言ってる本『正岡子規 五つの入口』大岡 信著 岩波書店 でだったかなぁ?)、著名なその詩人が自著で、俳句や短歌のことを「写実というのは、その物事が見えるようにすること」というような ことを言っていたと(おぼろですが)記憶しています。まぁ最近はこの言葉をあんまり意識はしていませんが、いまこの返信をしてて ふと思い出したので、たちばなさんへお伝えしたくて言いました。

    これらのことを踏まえた上で、たちばなさんのご感想を受け取ると、たちばなさんが ほんとうに自由に感じたりして思ってくれて貴重で身にしみてうれしく思います。この詩の霊としての存在と光などを感じたりしてくれて ありがとうさま♪♪

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