打ち明けます

死にたいんだよぅ

あの日の私は 零した
罰当りな一言を
夜空は黙って聞いた。

月の光を浴びていると思い出す
澄んで果ての無い瞳を。
あの日
夜空は私を見つめてからうなずいた。
あの日に人間として死んだ私 そして
あの日に生まれた小鬼としての私

(私は良くないことを言っている)
私が生まれた時に私が終わることが決まったのかもしれません
されど
小鬼の私は生きることを選んだ 今は
無様であっても 生きるのだ

小鬼の私は気が小さい でもね
今の自分に出来ることを一つ一つしていくしかないんだ。
ここで苦しい時などには
闇を聴こう
こころの闇を。
闇の中でこそ光が光であることが出来る

これからも時々私は「死にたい」と零すだろう
しかし、いつかまでは
月は満ちては欠けて欠けては満ちる
いつものように。いつものように
月と出会った時の私は
月を見上げる
見上げてほほ笑む
ほんとうに
死ねる日まで

投稿者

コメント

  1. コメント失礼いたします。

    光は闇から生まれたのだと、僕はおもいます。
    闇につつまれて、また生まれるのだとおもいます。
    さざなみがきこえます。
    そうやってよりそってくれるものがあるうちは、生きてみようかなぁ、っておもったりします。
    変なコメントですみません。

  2. @ぺけねこ
    さんへ ああ、変なコメントをありがとうございます。でもぺけねこさんのコメントも変じゃないですよ。ぺけねこさんのそのお心づかいが ありがたくうれしいです。

    うーん、そうですねぇ、光は闇から生まれたというのは、もしかしたら真理かもしれませんね。
    (難しいことは私には分かりませんが)著名なある理論物理学者がその自著で(うろ覚えなんですがたしか?)、「この宇宙は神が作った(生んだ)として、その神を生んだのは何か?」ということを言っていた(ような気がします)。これは突き詰めていくと、ふしぎとしか言えないようなことですよね。あんまりこういうことを考え「過ぎる」と頭がおかしくなっちゃう私。でも、ふしぎで面白い。でも、もしかしたら、こういったことは、言っちゃなんないことかもね。
    でも言うのが詩人であり、私なんですよねぇ。ふふ。^^;

    でも、もしご心配してくれてるのならば、ご心配されなくても、大丈夫ですよ。この詩の場合は、ほぼ本音などで書いてますけど、死ねる、ということは、私にとっては絶対的な希望なんです。でも、自死は出来るだけしたくはない。極端な話、放っておいても私は死ねる。
    ある種 冷酷なことを言えば、「生物にとって死は自然(必然)なこと」でもありますからね。
    ただし、死ぬまでの苦しみなどは、苦しいので切なかったりしますし、他人の死は悲しかったりします。私の次兄は若くして事故で亡くなりました、死にたくないのに死んだ存在です。そういう死は悲しいですね。

    それでも、私はこの詩を書いて公表した。そうしなければ先へ進めないなどの どうしようもない自分(たとえば、小鬼)がここに居ます。

    ぺけねこさんのお心づかいが ほんとうにありがたい。
    こういった作品を読んでくれた上に、コメントまで寄せてくれて、とっても貴重です。
    ぺけねこさん、ありがとうさま。

  3. 一行目の本音は、それはもしかしたら禁じ手なのかもしれないですが、この一行で確かにこの詩が意義のあるものになっているとも思います。誰にでも甘き死の誘惑というのは常にあって然るべきだとオレなんかは考えますが、生きている今が、生きて出会えたことが、やはり大切なことであると思えます。

  4. @トノモトショウ
    さんへ そう、一行目なんですよね、この詩は。そこから始まることもあると思います。
    トノモトさんが、その一行目などをそのように読んでくれて 受けとめてくれたりしていることを非常にありがたくうれしく貴重に思います。
    そして、そうですね、トノモトさんが言ってくれている通りですね。生きている今が、生きて出会えたことが、やはり大切なことであると思える、ということは、私も同感です。ぽえ会というここの場で出会った詩人達もそうだし、生まれてから今までに出会った方々、そして、これからも出会うであろう方々、みんなが、それぞれにそれぞれとして ありがたい存在です。いろんな出会いなどがあるでしょう。結局のところ、ある意味、人生って人との関係などなんでしょうね。その中で、さまざまな形で縁が切れる人も居るし、その人の人生の最後まで縁が続く人も居るでしょう。
    トノモトさんと出会えたことが私はとってもうれしい。トノモトさん、その私との縁を持ってくれて、ありがとうございます。

  5. 人間と、小鬼。…どちらがこしごえさんなのだろう? 読後、考えてみました。どちらもこしごえさんなのでしょうね。一行目は、たしかに禁じ手かもしれません。でも、この一行目が読む側を惹きつけるのです。

  6. @長谷川 忍
    さんへ うむ、そうですねぇ、正直 ほんとうのところの私こしごえという存在が何なのかは、自分でも分かってないのかも しれません。でも、本音の部分で自己分析してみると、人間としての私はあの日に死んでしまったように思います。まぁ、しかし、人間というものを思ってみると、美しいこころの部分も人間だろうし、醜いこころの部分も人間であり、それらをあわせ持ったのが人間と言えるのかもしれませんね。うん。

    そうですね、一行目は確かに禁じ手なのでしょう。でもその一言を詩の一行目で言わなければならなかった。ただ、自らの死について、だらだらと愚痴「だけ」を言っては つまらないただの愚痴になってしまう。その辺のバランスは、気を付けて書いたつもりですが、それは、私の感覚で書いたものなので、どうしても客観性に限界が出来てしまう。
    でも、温かいコメントなどを頂いた読者の皆さん(現時点では)ぺけねこさんとトノモトさんと長谷川さんに助けられています。
    長谷川さんが、一行目などを大事に思ってくれて、とってもうれしくありがたく貴重に思います。ありがとうございます。

  7. 『打ち明けます』というタイトルは、内容とは裏腹にYouTubeのサムネのような引きがあって詩のタイトルに持ってこられたのがまず新鮮で良いなと思いました。
    「月は満ちては欠けて欠けては満ちる」という現象も、考えてみれば面白いもので、月はただ存在して回ってるだけなんだけど、それを眺める人の側からの視点では、どこから光が差す(当たる、当てる)かで、満ちたり欠けたりするんですよね。きっと小鬼が見た人間と、人間が見た小鬼と、いろんな満ち欠けもあるのでしょう。終わりのないことには人の心は耐えられないのでしょうから、不老不死なんてものは人を狂わせるだけなんじゃないかとさえ私は思いますが、いつか終わることが約束されているこの人生を、やはりメメント・モリで焦らず怠らずに生ききるだけなんでしょうね。禁じ手だろうと何だろうと、詩の中では何度でも死んだり蘇ったりもできるので、共にこうしてここで出会ったご縁で、生きて詩を書いていられることに幸せを感じていたいですね。いつもありがとうございます。

  8. @あぶくも
    さんへ そう、タイトルの「打ち明けます」というのは、読者や自分にちょっと俯瞰させる効果があるかと思い、決定したタイトルです。もっと言えば、この作品本文をも俯瞰させたかった。その点をこうして あぶくもさんが感じてくれたことが ありがたいです。

    そうそう、月が実際に満ちたり欠けたりするワケではない。でも、人生満ちたり欠けたりでいろいろですよね。
    あぶくもさんが言ってくれたように、人間と小鬼にもいろんな満ち欠けがあると思うと、人生も面白いかもしれません。

    そうなんですよねぇ、もし、永遠の命を持っていたら淋しくなったり、気が狂うかも。だって、何十億年とかしたら(地球の)生物も居なくなるだろうし(ちょっと前に知ったことですが、うろ覚えなんだけど、45億年「位」したら、私達の居る天の川銀河とアンドロメダ銀河が衝突して70億年位の後には合体するらしいです。たしか太陽の寿命も40億年位だったような)。まぁ、星々はあるだろうけど、永遠だとしたら、「この」宇宙が終わっても存在しちゃう? って、まあ夢のような話ですが。遺伝子化学?とか発達してきてるから、ある程度は不老不死に近い未来が待ってるかもしれませんね。^^;
    そう、メメント・モリ、死をおもうことですね。そこから生を思えれば すてきかも。

    あぶくもさんが この詩の禁じ手のようなところを認めてくれた上で、そう言ってくれることが とってもうれしくありがたく貴重です。ありがとうございます。
    そうですね、うん、共にこうしてここで出会ったご縁で、生きて詩を書いていられることに幸せを感じていたいというのは私も同感です。こちらこそ いつもありがとうさま。

  9. 本当はもっと打ち明けたいことがあるんだと思います
    人間とはそういうものかもしれません
    全てに踊らされて無様に生きて
    俺はたまに唄を歌います

  10. @那津na2
    さんへ 那津さんがそう言って思ってくれることが私にはうれしくありがたく貴重です。ありがとうございます。
    そうですねぇ、那津さんが言ってくれる通り、人間は打ち明けながら、もしくは、打ち明けたいのを言わぬが花と言わないで人生を暮らしていくのでしょうね。でも私の場合、言っちゃう。それをぽえ会の皆さんが温かく見守ってくれる、ほんとうにありがたい詩の仲間を私は得ることが出来ました。
    ぽえ会の皆さんへ感謝が尽きません。皆様、ありがとうさま。

    そう、そうですねぇ、無様に生きて、歌いましょう ふふ

  11. 若い頃、古井戸の底で生きている蛙は希死念慮に囚われてしまったら
    井戸から這い上がることはできるのだろうかとおもいをめぐらせても
    その議論には蛙は参加せず音のない古井戸の底から月をみているのだろう
    という思いにちかいしつかりと言葉に変えられない何かがあったかもと
    一瞬、脳裏に浮かんだけれど気のせいだと思いました。あ、感想です。

  12. @足立らどみ
    さんへ 先ず、らどみさんがこの作品を読んでくれたことに感謝します。そして、らどみさんがこうしてご感想をくれたことも貴重でありがたくうれしいです。ありがとうございます。
    うむ、死生観も人それぞれですよね。
    らどみさんがこの詩から そういったことを思ってくれたことも貴重です。
    そうですねぇ、古井戸の中で生きている蛙にとって、古井戸は全世界なのかも。その蛙は(もしかしたら私は)、その古井戸の中で一生を終えるのかもしれません。でも、知らぬが仏で、外の世界を知らない方が良い場合もあるでしょうね。まぁ、外の世界を知らない方が良いかどうかは、いつになっても、誰にでも(蛙自身にも)分からないことかもしれません。もしかしたら、古井戸の中で終える一生も幸せなのかも しれませんね。
    らどみさんのお心づかい、うれしく思いますとっても ありがとうさま。

  13. あ、ごめんなさい。希死念慮という言葉を使ってみたかっただけなんですよ。
    文?のほうは斜め読みでしたので、いつか再度読んでみますね。じゃあねー//

  14. @足立らどみ
    さんへ おおっ、そうなんですね。希死念慮。うんうん。大丈夫です。
    ああ、再読してくれるとありがたいです。
    もちろん、らどみさんのペースでこの詩を味わってくれたら幸いです♪(^-^)

  15. ぜんぜん関係ないけど名前も作品の一部だと思うので
    そういえば、こしごえさんの名前の由来って何だろ?
    漢字で書いたら「高志越」さんだったらカッコいいと
    ふと、思ったりしましたよ。

  16. @足立らどみ
    さんへ まぁ、それはここでは言いたくないので、あっちでメッセージします。拝礼

  17. ありがとうございます。
    僕はサリンジャーの大ファンでご先祖様が長く住んでいた新潟に愛着があります。
    大工よ、高い志を持とうと今も思っています。
    今後ともよろしくです^^//

  18. @足立らどみ
    さんへ うん、それはとてもすてきなことですね。
    こちらこそこれからもよろしくお願いします(^-^)

  19. 再度読んだ。武士道に近いのかな。
    私のご先祖様は本家の話しだと山師だったので
    ドブの中に蹴落とされても生きたいと思い続け
    おじさんになっているので武士道は理解出来ても
    私には無理だなぁと思いました。

  20. いつか検証したいので、似たテーマで去年どこかに載せた文を
    貼り付けておきます。
    私のプロフィールのバックの海を見に行ったときの文章です。

    ごめんなさいね。

    **

    海を見に行った陸地の終わりだった
    足立らどみ

    文字の輪郭をボカす楽しみ方は、
    旅から戻ってからで良いと思う。

    全てが終わってから立ち上がる言葉

    納得の上で「外」に出された文字を読み、
    繋がっていく楽しさを感じるなかに
    詩が見つかれば、今はそれでじゅうぶん。

    「内」側から仏言に繋がっているのかな

    海を見に行った
    陸地の終わりだった

  21. @足立らどみ
    さんへ 武士道ですか。武士道は、私が若い頃に新渡戸稲造さんの本で「武士道」っていうのを今でも持っていますが、読んだことはあってももう内容は忘れています。今の今武士道の「本」に書かれていることで思い出したのは、「武士はすべきことをする者」という「ような」ことを全くのうろ覚えですが、そんな内容だったかなぁ?と。
    でも、らどみさんが、この詩を、もっと言えば作者を すくいとってくれて助かりました。ありがとうございます。
    らどみさんのご先祖様はこころの強いお方ですね。すてきです。

  22. @足立らどみ
    さんへ らどみさんの詩を紹介してくれてありがとうさま。
    この詩は、世の中にあるそれぞれの詩と詩人達への愛を感じる詩ですね。
    海を見に行った
    陸地の終わりだった
    というのが特に印象深いです。すてきな詩を拝読出来てありがたく貴重に思います、ありがとうございます。

  23. 今晩は! 初めまして! 前にコメント頂き有難うございました 死については皆さん様々な死生観が
    ありますね 私も若い頃は死を美化して軽い気持ちで死にたいなんて考えていたことがありました
    今や、何時お迎えが来てもおかしくない年になりましたので、急がなくても、そのうち、迎えが来る
    だろうと考えるようになりました 絶望と希望は錦の御旗・・・もう私には振りかざす勇気もありません
    また 寄らせてもらいます 

  24. @夢の途中
    さんへ 今晩は。初めまして。^^ご感想をありがとうございます。
    うむ、そうですねぇ。死生観は人さまざまですね。まぁ私の場合、死を美化しているつもりはありませんし、「どうにもならない現実と気持ち」で「死にたい」と思う時も(も)「時々」あるというだけの話。ただ、死 というものは、生物全てにとっては自然なことでしかありません。当り前ですが、生きている限りはどの道死ぬことになっている。私はただ、その自然に起こる死を受け入れるだけです。
    夢の途中さんは、今、何時お迎えが来てもおかしくない年になられたとのこと。そうなんですよね、急がなくても放っておいても私も死ねるのが分かっているので、余計な事(自死)は出来るならばしたくはありません。死自体はいいのですが、自死は死ぬまでがコワイし、それで死ぬのはもったいないとも思う。自死は本当にどうにもならない時の最後の手段です。
    しかし、このような詩に、コメントをくださいましたことを、とても貴重に思います。そのお心づかいに感謝します。
    夢の途中さん ありがとうさま♪

コメントするためには、 ログイン してください。