カラハリの降る丘で

カラハリの降る丘で

   カラリ ハラリ カラ リラリ
   ハラリ カラリ ハラ リララ

   まわりうずまきさみだれの
   さんさんしゃーしゅーよぎるよる
   ひなびたまんじゅうほおばりきん
   ときはまだむのほおずきに
   つるつりたかっぽとってんしょん
   カラリ ハラリ カラリ ラリ

   しょげたすいがらしょいこんで
   はくいきけむりにけむたがる
   さけはさげてはさげすまれ
   すまぬもごめんもとどかんと
   がらがらなくこはとおりゃんせ
   がらがらなくこはとおりゃんせ
   ハラリ カラリ ハラリ ララ

   からぬぎはらさきからまわりぬなら
   はらすきからたべはらごろりんねの
   つっぴんしゃーん つっぷくしゅん
   ハラリ カラリ ハラリララ
   カラリ ハラリ カラリラリ
 

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コメント

  1. まずは絵が面白いですね。何だこれは、という絵ですね。目なのか? 目の中に山があるのか? 虫なのか? 睫なのか触手なのか足なのか? それと連動するように詩もまた何語なのか? という詩ですね。日本語らしいけど、方言なのか、そうでなければ意味の無い言葉遊びなんだろうきっと。もしそうなら一層難しい。意味の無い言葉を創造するわけですから。日本の(世界の?)昔からある言葉遊び歌のように思えました。

  2. @たかぼ

    たかぼさん、コメントありがとうございます!

    ああ、、、うれしいコメントです。
    まず絵に触れていただけたこと、うれしいです(単純な奴です)
    そして、この詩に内包している事柄、述べていただけたこと、感無量です。
    絵は、僕も描き終えてから、なんだこれは、と同じく思いました。
    僕も分析するに、まずは言葉遊びなのは間違いないのでしょう。
    ですが考察するに、まず個人の経験(記憶にない無意識含め)が作品、創作に作用するという前提でもって、
    明治の歌が影響していることに気づきました。
    本人気づいてから、恥ずかしくなったのですが、インスピレーションもあり、風刺が効いていて、当時、言いたいことをいったら罰せられる、状況において、すごいな、と思いました。(しかし風刺をこめた訳ではないようです)
    リズムは拝借し、しかし抽象的、が自身のねっこにあるようで、この詩にはそれが色濃くあらわれてくれたのかもしれません(絵を描く新鮮さもあいまって)
    結局は「イメージ」という括りになってしまうのでしょうが、それを「具現化する」という作業ははじめてだったので、やはりコメントいただけてうれしかったです(継続するかどうかは別として)

    そして意味のなさ、にもねっこはみえかくれしていることにも改めて認識できました(そればかりではいけませんが)

    総じて、カラハリ、に対する漠然としたイメージをどうにかしてみた、作なのでしょう。
    精進します。

    つらづらすみません、改めて、コメントありがとうございます。

  3. へい、わたしはすきですよ、こんなかんじ、意味よりもさきに、音があってもいいはず、そしてなにより、あらわれるもの、世界にあらわれるもの、それは生きている事の、なんだかんだの、あらわれること。

  4. @坂本達雄

    坂本達雄さん、コメントありがとうございます。

    音があってもいいはず!
    そうですよね、自由なれば、ですよね。
    リビドー、といいますか、なんだかんだ出てきたいなにかって、みんなそれぞれありそうな、そんな気がします。
    すきをありがとうございます。
    やっぱりせっかくの表現?なのですし、また色々やれることができたらいいなっ、て思えました。

    追伸:坂本達雄さんの詩にコメントさせていただきました。自分なりにいつもと様子の変わった風になってるかしら、と思います。(お目汚しすみません)
    でらんでらん、がすきです!

  5. 自由にかたりましょう、自由に詩をとらえましょう、リビドーもまたひとつの自由をさししめします、世界を知ることの奥にあるのは、わたしたちの自然にあらわれる世界です、どんどん詩の中へ、そしてふわっと。

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