仮初のいのち
抱かれるのはそんなに嫌じゃなくなった。それがどういう意味でも、別に構わないと思うようになった。本当の心とは何をしたかでしか決まらない。あの人は俺に良いことも悪いこともするんだけど、結局俺だってそれに乗っかって好きなだけ甘えている。手を出されなかったらまたどこかに行ってしまっていただろう。言葉も、態度も、面倒を看るのもこの関係には全部必要なことなのだろう。生きている意味がないと思うどうしていいか分からない程の焦燥とか、死に近付いているという漠然とした虚無感、そんなにも素晴らしい行為なら、自分だって何かを愛してみたいという好奇心。いつからか俺も「受け入れるしかない」と思うようになったのかもしれない。産まれたことを。その相手が彼女じゃなかったことを、いつ死ぬか分からない程老いていることを、手に余るような優しさを信じられないでいることを。全部末期のうわごと、ゆめうつつの愛情だと思っていたんだけど。強いものに歯向かわないのは、その化生がとても賢いからだ。虫も殺せないような俺が獣の性で生にしがみついているのと同じように。俺の知っているもの皆全て、誰かの決めた運命に黙って従うようなただの弱虫ではない。生きている。
コメント
どのような場所も、どのような部分も、さめざめと泣く、弱くてくずれそうなものが、一点で立っている、シモツキの頃には、どのような場所も朝方の冷たさに、みずからを泣く、ほぼながれていくほそいなみだ、ゆうぐれにはなお。
申し訳ございません、@返信の方法が分からず承認待ちになってしまいました。
虫も殺せないような俺が獣の性で生にしがみついているのと同じように。
このフレーズが印象に残りました。「性」と「生」。りっしんべんが加わることで、「生」が、よりリアルに、生々しくなってくる。にんげんの性(さが)でしょうか。
@長谷川 忍さん
動物にしか心はないんだな、と思うと心って一体何かが不思議になってきます。動くものではあるようです。