今へと、降り立つ 

  
                        

 

 芸術家は、生活に追われ、窮地に追い込まれなければ、今この瞬間を生きられない哀れな生き物。例えば、カツ丼をいっぱい食べる。三〇分後には、クソになる前の身体の一部。その瞬間を予測してしまうと、カツ丼を食べる一瞬一瞬を楽しめない。金がなくなる。さあ、どうなる? 働かなければ、追い出されると気づいたとき、やっと職業を見つけ、生活について考え始める。その時、やっと今が私を捕まえてくれることを、私は期待し始める。さあ、どうする? 『今か、今か』と待ち構え、私を捕まえてくれるのか、生活よ? クレイジーママもダーティダディも、ファッキンライフを生き抜くために、必死で生きてきた。私は今、という瞬間瞬間の世界を生きている人が沢山、辛苦を舐めてきたことを知っている。ただ、同時に私がどうしても、意地悪な視点を置かずにいられないのは、貴方たちが、常に、今という時間の中で私をおしのけ、跳ね除けて勝ってきたからである。理不尽な言い分も随分、沢山あった。それでも、あなたたちは、私を押し退け、突き飛ばし『それの、なにが悪い?』と、遠慮なんか、一切しなかった。私は、私を押し退け、突き飛ばしてきた人間を、助けたいと思い、愛されようとさえした、間抜けな男。貴方たちが、消えてなくなる前に、私は『今』が、欲しい。貴方たちのいる、内側の世界に、私も一度だけ、入ってみたい。私は阻害され、迫害され続けてきた男。さあ、貧乏人の安労働よ、と思い、今日も、携帯が手放せない私であった。

投稿者

茨城県

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