書くとは、なにか? 

   
                        

 

 書くとは、越えること。認められるなど、二の次である。ただ、認められなければ、書けなくなることに気づいた時、人は認められる工夫を試み始める。如何に、人の批判意見をその人が聞くことが出来る人間か? その文章の成熟度の中に、その人間の、質が試される。そこで、書くために必要なものが、発表の場である。発表することによって、受けるリアクションは、創作を志す人間にとって、最も大切なものである。『自分は自分。他人は他人。他人は変えられない』『音楽が好きだから、やっていられれば、それでいい
』『他人に、興味がない』こういう言葉を聴くと『この甘ったれた人間から、発表の場を取り上げろ』と言いたくなる。現代では、それがテレビに出て発言権を持ち、お金を儲けているのだから始末に負えない。しかし、お金を持ち資本を持っている以上、権力は持っているのだから、舐めるわけにはいかない。何故、このような言い分を、本来シビアな大衆が許しているのか? しっかり考え、分析する必要がある。おそらく、こうなんじゃないか? 『これなら、僕たち(私たち)でも、出来る』という、冷めたリアクションなんじゃないか? と考えると、ナ〜ンダ、意外と白けてるんじゃないか? と、得意になってテレビに映る人や、真剣に批評なんかしているレビュー内容を、真剣に読んでいる自分がバカらしく思える。同時に、この冷めたスープのような世の中を、情熱の炎で、グツグツ煮えたぎらせてやりたい、と思うのだった。

投稿者

茨城県

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