生きる力を見た

ボクは介護の職についた
数年前は高給取りのサラリーマンだった

もっと分かりやすく
自分らしく生きるために

そして出会った
武田さんと

車いす
細くなった足
自分では立ち上がることはできない
彼女は口が聞けなかった
理解もおぼつかないらしい

初日

初めましての挨拶ノ日
彼女はじっとボクを見つめて
何も言わずに
ゆっくりと手を差し出した
応えるようにスッと差し出したボクの右手を
確かめるように
ゆっくりと、じんわりと
ボクは手と目を交互に見つめてじっと待った
彼女の時間にボクの時間が重なった気がした

武田さんがゆっくりと手を離した後
今度はボクも同じようにゆっくりと自分の手を引いた

午後、冷や汗が出たらしくベットで横になっていた

2日目

武田さんには朝のお茶がでない
接種水分量の制限があるらしい

何かを訴えかけてくる目に
たまらずに応えた
ごめんね
お茶、飲みたいよね

少しコクリと頷いた

ボクは伝えた
分かっているのかは分からないけれど
昨日手を握って感じた彼女のぬくもりを信じて

お茶、お昼にあげられるからね
体に障るから朝は飲めないんだって
ごめんね

少しコクリと頷いた

ありがとうね

また、少しコクリと頷いた

今日から武田さんは一日三回のバイタルチェックを行うことになった

3日目

今日も昨日と同じように朝のお茶は出ない
また声をかけてみた
なんとなく、頷いてくれた

武田さんには学習用の紙は配られないらしい
皆と同じように扱ってもらえてはいなかった

ボクはそっと
皆に配られたプリントを
同じように彼女に手渡してみた

じっと紙を見つめていた

これはね、こうだよ
こうやってやるんだよ
良いかい
やさしく、ゆっくりと
彼女の時間にボクの時間を合わせていく

なんとなく、ただ頷いてくれた

でもなんとなく、こちらをじっと見つめてくる時間が増えた気がした

お昼過ぎからはベットで横になっていた

4日目

色んなことが重なって
慌ただしい日だった
まだ覚えたてのことばかり

ふと見ると武田さんと目が合った

彼女はそっと頷いた
元気をもらった気がした

今日も昨日と同じように
お茶がでないことを伝えて、学習プリントをそっと手渡して説明した

5日目

今日もまた忙しない日だった

お昼頃、武田さんがこちらを見つめているのがなんとなく分かって

ごめんね、今忙しいから後でねが喉元まででかかって引っ込んだ

右手をボクに差し出していた
言葉が聞こえた気がした
落ち着いて

ありがとう
少し待ってて

お待たせ

ゆっくりと手を差し出す
そっと手を握って

またコクリと頷いた

今日も昨日と同じように朝のお茶は出ないことを伝えて
お昼前には学習プリントをそっと手渡して説明した

今日もベットで横になっていた

6日目

武田さん、昨日はありがとうね

彼女はゆっくりと手を差し出す
ボクもゆっくりと手を差し出す
今日は反対の手もゆっくりと差し出して
それから両の手でボクの手を優しく包み

そして
ゆっくりと
ゆっくりと
ゆっくりと
何度も手をさすってくれた
やはり声が聞こえた気がした
落ち着いて
大丈夫だよ

ありがとう
ありがとう
ぬくもりが広がった
眼には見えないけれど
ぬくもりが広がった

言葉には聞こえないけれど
話しかけてくれてありがとうと伝わってきた気がした

今日も昨日と同じように朝のお茶は出ないことを伝えて
お昼前には学習プリントをそっと手渡して説明した後だった

7日目

今日ボクは生きる力を見た

今日も昨日と同じように朝のお茶は出ないことを伝えて
お昼前には学習プリントを配ろうと思った

皆に配ろうとしているとじっとこちらを見ている武田さんがいた
ボクがいない時にはプリントは配られていないようだ

うん、大丈夫
配るからねと近づいて声をかけた

そっと手渡して説明した
今日はね、国語だよ
分かる？

確かにこの耳に残って離れない
たった
2文字

うん

今日ボクは生きる力を見た
確かに今日ボクは生きる力を見た