ぽっかりぽっかり
物は考えようだ
青空に白い雲がぽっかりぽっかりと浮かんでいる
あの青空へ
まわりのゴチャゴチャはただのまわりのことでしかないし、
自分の頭の中のこともただの頭の中のことでしかない
と話し掛ける。
悩みや不安は尽きないだろうから、
悩みや不安を前へ進むエネルギーに出来ればすてき。
それに冷静になってみれば
実際の物事は何とでもなっていると分かる。
とらわれているけど、不安などがあるから気を付けたいなどと思う。
でもね これも
まわりの存在の支えがあってこそだ だから
まわりの存在へ ありがとう
こうしていられる私は幸せ者だ
出来るだけ楽しむ心を持ちたい もっと気楽に
青空に白い雲がぽっかりぽっかりと浮かんでいる
ああ
どの道私も
青空にぽっかりぽっかりと浮かぶ日が来る
そして雨となって地上に降るのだ
その後のことは知らない
知らない方が良いこともある
知ることが出来て嬉しい場合もある
その時その時を
今日も
青空に白い雲がぽっかりぽっかりと浮かんでいるか。
今日も
浮かんでいる
ぽっかりぽっかりと
コメント
どういたしまして、こちらこそありがとう。
って、言ってもいいですか?
@たちばなまこと
たちばなさん コメントありがとうございます。
ふあー!うーん、うん。
ああ、たちばなさんがこの詩を読んでそう言ってくれて、とてもうれしい。
ほんと、まわりの存在に感謝なんですよねぇ。私はおかげさまで人にも物事にも恵まれています。
でも、悪には関わりたくないのが正直なところ。でも、悪というその考え方みたいなものに、私の悪は肯定されるというのもあります。こんなことを思うと、めんどうくさいですけどね。ふふ。^^;
でも、そのかわり、善との縁が私にもあって、いつも助けれらているのも事実。ほんとうにありがたいことです。
そして、今、たちばなさんの善を頂けたことに感謝申し上げます☆
「どの道私も
青空にぽっかりぽっかりと浮かぶ日が来る」の連すべてが本当にそうだそうだと唸っております。
@あぶくも
あぶくもさん コメントありがとうございます。
ああ、あぶくもさんがその連に同感してくれて、とてもうれしくありがたいです☆
うーん、そうなんですよねぇ。魂の話はまた別なんですが、肉体は火葬されて煙となって空へ昇る。その煙は上空で雲になると思います。
これは実際の話なんですが、昔、私の家族の葬式で火葬中に火葬場の玄関の石段に座っていたら、きらきらとした天気雨が降ってきたのです。それで近年雲のことを検索して調べてみたら、雲は核になるものがあれば出来るとのこと。なので、火葬の煙の炭素?の粒々が雲の核になって、その時雲になり雨となって降ってきたのではないでしょうか。おそらくそう「思い」ます。
この経験は、今となってはいい思い出ですけどね。ふふ。
こしごえさんらしい詩ですね。ぽっかり、ほっこりしてしまいました。
まわりの存在の支えがあってこそだ だから
まわりの存在へ ありがとう
たしかに、そうです。存在への孤独を感じる時もありますが、人は、周りの人たちの支えがあって、生きています。生かされている。そのことを、あらためて考えてみました。
@長谷川 忍
長谷川さん コメントありがとうございます。
「ぽっかりぽっかり」は、そんなに受ける詩ではないとは思いましたが、
長谷川さんに私らしい詩と言ってもらえて とてもうれしくありがたいです。
まわりの存在の支えがある、ということを当り前のように考えてはならない、と思うのです。
そうですね、長谷川さんの言う通りですね。周りの存在のおかげで、生きることも出来る、ということは ありがたいことですね。長谷川さんが、それをこの詩からあらためて考えてくれて貴重に思います。