温もりについて
温もりに対しては、どこまでも無防備でいたい。オランウータンの分厚い毛皮の上で癒されたい。誰かが私の腹の上を人差し指でなぞるとぴくんと揺れて緩みが生まれる。その時私の頭の中で一人の女性が左目で線上の涙を流し、右目で左目より弱い涙を流す。その時に私は悲しくもなるし、穏やかになる。私はその絵を右に揺らし、左に揺らし絵画というものに動きを与えようとする。美しいものは悲しい。活力を与え大きく揺さぶりたくても、死んでしまってはどうにもならぬ。貴方は美しい。しかし同時に死んでいると私は思う。両目で涙を流す女性は気に入らない。嘘つきだからだ。均等に涙を流す人は気に入らない。平和主義だからだ。不均衡で不釣り合いがいい。不平等がいい。陳腐で自己破壊的がいい。懐疑的がいい。だらしない人は嫌だ。水ぼらしい人は嫌いだ。両手で大あくびをして、水面の上からぬっと顔を出し泥に塗れた人がいい。女の冷感症は冷たい水羊羹のようで四角くすぐに綻んでこの世界から流れていくだろう。その時初めてこの世界に温もりが生まれるのである。丸味を帯びた胎児の笑顔がいい。誕生。強い苦痛とうめきの後に温もりが生まれるのだ。両手にメス。片目には雄。恐怖のオペと執行猶予付きの弾劾裁判が手術室から新たな生命の誕生を覗きこむとき、本当の覚悟と勝負が始まるのです。この世界に温もりを取り戻すための生き物の賭け事に似た勝負。生き残るのは万に一つの命。後は流れ、非正社員のように雇用から外されていく。生き残った命を大事に出来るもののみ、賢人として祝福されるでしょう。懺悔に濡れた花のことは考えたくない。触れるということは時に侵しがたい行為である。忘れ見て見ぬ振りの起源がどこから生まれたかこれで分かっただろう。愛は悲しい。優しさは悲劇への癒しとしての代償行為。私の言葉の一つ一つを愚人の語る喜劇として受け取る人のみ仲良く私は語ることが出来る。表面上は。間に受ける人のみ私は真剣に語ろうとするだろう。だから私は群れに対しては道化を演じていたいのさ。おしまい。
コメント