これも因果的必然ですね。と
私の悲しみがささやく
悲しみは
落果
真夜中の独り言
快晴の空の青さ
どれもこれも
静けさが胸の奥に響く。

何事も
今までは今まで
これからはこれから
そして
今を生きる
土にかえり
朝をむかえて
青さにそまる
何もかもが今とつながっている
回り回って
あなたと
あなたと
あなたと
つながっている私
ここに
全てはある。

泣きたい時は
泣けばいい でも
泣けない時もある
泣けない時は
凪いだ海のように
凪いだ目をして
遥か遠くを見つめよう
それから目をつむり
目には見えない光を思う

投稿者

コメント

  1. 「凪いだ目」というのがとてもとても刺さりました。借り物の肉体が返却されるとき、それはどんな状態でも思いだけで繋がることができる術を得たということにほかならないのでしょうね。

  2. @あぶくも
    あぶくもさん コメントありがとうございます。
    あぶくもさんのこころに「凪いだ目」というのがとてもとても刺さって、その言葉を書いて良かったです。
    そう そうですね、あぶくもさんの言ってくれた通り、借り物なんですよねこの肉体は。そしてどんな存在にでも魂は宿っているのではないかということは思いますね。それに知人の知人の知人・・・・・・、というふうに連鎖的に人もつながっているし、物事も回り回ってつながっていますね。それは高い次元ではあぶくもさんが言ってくれた通り、思いがそこに宿った物だと言えますね。
    ちなみに、「ここ」という言葉には、広辞苑によれば、「話し手の現に今いる所。わが身。自分。この世。現世」などという意味があるとのこと。
    あぶくもさんが、そのようにこの詩からさまざまに想像したり感じたり思ってくれて ありがたいです。うれしい。ありがとうさま。

  3. 本当に悲しい時は心が凪いだように動かなくなりますよね。
    泣きたいのに泣けないのは本当に苦しい。
    涙は救いでもあるのですが、それが儘ならない時は
    凪いだ目をして遥か遠くを見つめるしかないのでしょうね。

  4. @nonya
    nonyaさん コメントありがとうございます。
    うん、まあ、そうですねぇ。悲しい時には他のことは手につかなくなります私の場合。まぁ、実際は、その人その人のその時の状況とか状態などにもよるでしょうね。
    そうそう、泣きたいのに泣けない時は辛いですね。
    泣ける時というのは、まだ何か救いと言っちゃあなんだけど、まだなんかですよね。
    はい、泣けない時は、この詩のようにある種 観念(諦めたり覚悟したり)するしかないのかもしれません。
    nonyaさんがこの詩からそのように読んでくれてこの詩の思いを汲んでくれて うれしくありがたいです。ありがとうさま。

  5. 凪の夜の港は、赤ん坊が沐浴をしているときのような可愛い音がします。
    ちゃぷちゃぷ。
    あのころの瞳はあわい光を感じるだけでした。
    そんなことを思って(思い出して)しまいました。優しくてどこか悲しいような詩ですね。

  6. @たちばなまこと
    たちばなさん コメントありがとうございます。
    たちばなさんは海によく行くようですので、海をイメージしやすいでしょうね。ふふ、赤ん坊が沐浴してる時の可愛いちゃぷちゃぷとした音という表現がすてきです。
    うん、この詩からそのころのことを思い出してくれたことが貴重です。
    優しさと悲しさを感じてくれて ありがたいです。たちばなさんが感じてくれたそれらを私に伝えてくれて うれしいです。ありがとうございます。

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