さびしみ ~谷川俊太郎さんに
「命は原初から欠けている」
これは、私の魂が何回も
私のこころに言ってくる言葉です。
命は原初から欠けている故に、
命は何かを求め続ける
物に光を当てると
影が出来る。
影は光を失って影になった。
私は何かを失って私になったが
この私の体は借りものの体
でもね 私の魂だけは本当の私だ
小さな公園で一人
木製のベンチに座り、
青く澄んだ空を
見上げると
空はどこまでも高い
あの向こうへ
行きたいとは思わないけれど
何があるのだろうか
真空があって星々があって
それらの向こうには
何があるのだろうか。
神よ!神を生んだのは何だろうか。
遠い昔に宇宙が生まれた
宇宙の命も欠けている。
無数の宇宙が、無限で
お互いを求めあっているのか。
命を
思う
泡沫の
無限次元の孤独
あ はくしょん
コメント
一読してコメントできそうかなと思って、先にいいねを押したけど、
数読してみて紐解くのに困難で(そのあとの咀嚼はしないでおこう)
と思いました。というのも素人なりに物理は好きな科目なので記事
はよく読むけど、ネット詩を読むことのほうが圧倒的に多くの時間を
割いているので、こしごえさんが詩として載せている(詩のサイト
なので当たり前ですが)ことを踏まえて読むと、表層的な矛盾点と
感じた「例えば量子物理学に当初反対したアインシュタインが
理解しやすく分かりやすく神を持ち出してしまったのだから、
とか、そもそも光の子の光子は観測されたら死ぬと悲しんで
いる暇もないほどに「場」を離れ「バ」さんの重力とともに
いっとき、親の光に戻っているとすると、人間の考えている
神と神の子の関係にも似て無機物と有機物も一緒のおおかーさん
といっしょの世界になってしまうと思えるのでかけた命に宗教で
補おうとしているわけでもないのだろうと」感じたもろもろも
裏で繋がっているようにも思え綺麗に描こうとしていないとこも
あるように思え現代詩に近いのかなと思って、ああ今回は直ぐに
直接のコメントは控えようと思ったのですね。
ただ、違う側面で、おせっかいでも、コメントしていいのならば、
孤独というのは、本当に孤独で詩人の旅に出てしまうのならば、
私だったら、経験則で、パーティに入って出かけると思います。
苦難の道でも、パーティ仲間がいれば、長い道のりも楽しいと
思うから。
@足立らどみ
らどみさん コメントありがとうございます。
最初に言い訳を言いますが、私という奴には難しいことはサッパリわかりません(本などを読んでも忘れっぽいので覚えていられないしそもそも長い文章は読めなくなりましたし、自分の頭で考えることも低次元の限界があるからです)。
主に感覚と言葉の意味だけで(昔と違い言葉の意味もあんまり深くは考慮しなくなりましたが)書いている部分があります。
でも、らどみさんは物理が好きということで、話が早いと思うのですが、あのホーキング博士もこの詩の一部分と同じことを言っていて、神を生んだのは何だろうか というようなことを本で言っています。
そして、さびしみ。
無限であるということは、それ自体孤独だと思います。無限を包み込むのは無限です。無限以外は無い。と思うのですが、いかがかしら。
まあ、私の書いたものは宇宙物理学等の論文などではないので(あくまでも詩として)、読者がその人なりに自由に読んで頂ければ作者としては幸いです。
らどみさんがこの作品と真剣に向き合ってくれたことに深く感謝いたします。ありがとうさま☆☆☆
追伸
一つ言えるのは、一つのさびしみへの挑戦みたいなものですこの詩は。
@こしごえ
わーい。速い返信ありがとうございまーす。
ホーキング博士も亡くなってしまったけど、
読みましたよ^^面白いですよね。物理学の
なんたらはわかんないけど、アプローチの
仕方は、想像力を膨らませてくれるので、
小説や詩集と同じく楽しい世界ですから。
速い返信もらって、さびしさからの不安が
消し飛びました。良かったです、感謝です。⭐︎
今夜は、結構飲んだので
また、ゆっくりコメントしたいです
いま、思うのは
光こそが神なのでは?
ということ
こしごえさんの
この詩を読んで
光こそが神なのだ
と、感じました
また、コメントしまする!
思わずくしゃみをした、のですね。
遥かな孤独をかんじながらも、無限の中の極々小さな一端を僕らは担っているのでしょうね。
@足立らどみ
らどみさん コメントありがとうさま☆☆☆
うむ、ホーキング博士は何年か前に亡くなりましたね。合掌
いえいえ、まあ、その日の都合などで返信が遅れる場合もありますので、あしからずご了承くださいますと助かります。拝礼
(^-^)
@那津na2
那津さん コメントありがとうございます。
はい、新たなコメントを 那津さんのご都合よろしい際に待ってます。
うむ。そうですねぇ。光が神という思いはすてきな思いだと思います。うん。
「私の場合、」既成の宗教の神、というのは『信じては』いません。少なくとも私はそれらを信仰してはいないし、宗教を信仰する思いもありません。なぜなら、あんまり宗教に のめり込むと頭がおかしくなる恐れがあるからです。
ただし、(漠然とですが、)神さん達や仏さん達(ご先祖や次兄などの幽霊みたいなもの)への普段からの感謝は手を合わせたりしてしています。
あと、神は万物に宿っている、とも言われてますよね。それはそれですてきだと思います。もちろん、『自分に都合の良いだけの神はいないと思う』場合もあります。
更に言えば、哲学で言う神ではなくて、(世の中の人は、神の存在を否定する人も沢山居るでしょうけれども、)実際に現実的にこの宇宙世界や無限宇宙やそれらを超えた世界(?)に神は存在している、とも私の場合は『思っています』。思うんです。ただ、「神」という存在は、上記で言っている通り、既成の宗教上で言われている「神」とは、私の思う神は全く異なります。まぁ、思う ことは自由でしょう? うん。もちろん、他人が何をどう信じることも自由ですね。
まあ、この詩を書いた私が自分で言っておいて何ですが、神についてあれこれ言うのは本当は野暮かも。だって、【本当に 神が存在しているかどうかなんて、『本当は』どこの誰にも わからないはずでしょう?】と、思うからです。ふふ。うん。
でも、コメントしてくれて、とっても嬉しくありがたいです。
那津さん ありがとうさま(^-^)
@あぶくも
あぶくもさん コメントありがとうございます。
ああ!やったー♪ そう、そうです!思わずくしゃみをしたのです。ふふ。
ああ、あぶくもさんが、谷川さんに、というのを汲んでくれて
とっても良かったと思います。ありがとうさま♪(^-^)嬉しくありがたい!
はい、そうですねぇ。
無限次元の孤独です。無限次元が感じる孤独でもあります。
そして、あぶくもさんが言ってくれた通り、その世界の中に存在している私達一人一人がふと孤独を感じながらもお互いに引かれ合っているんですよね。
あと、私達一人一人の中にも無限が存在していると思えば すてきかもしれません。ふふ。
私は何かを失って私になったが
この私の体は借りものの体
でもね 私の魂だけは本当の私だ
この三行、いいな、と思いました。そうですよね。失うことで、「私」自身に近づいていく。喪失感は、人にとって大切な感情です。
最後の、
あ はくしょん
共感いたしました。(^^)
@長谷川 忍
長谷川さん コメントありがとうございます。
長谷川さんがその三行をいいと思ってくれて嬉しいです。
うん、この詩とは異なる私が書いた詩で、得たと思うと同時に失う、という言葉があって 得ることが無ければ失うこともないですよね。この体は、そもそも何かからの借りものだと思うのです。たとえば、自然からの借りもの。でももっとさかのぼると、何かからのこの体は借りものだと思います。うーん、うまく言えませんが、宇宙が生まれるもっと前というか。
長谷川さんが、失うことで、「私」自身に近づいていく。喪失感は、人にとって大切な感情です と言ってくれて ありがたいです。そのようにこの詩を思ってくれて ありがとうさま。
ふふ、最後の あ はくしょん、は谷川さんへの思いです。(^-^)