たびの途中で

たびの途中で

途中乗車してきた旅人を
見つめる乗組員たちよ
肩にのしかかる荷は
降ろしなさいつて

旅人と会話を
したいなら

たびの
途中

投稿者

東京都

コメント

  1. 大陸横断鉄道のような雰囲気ですね。途中乗車を迎え入れて、少しおしゃべりしたり、しなかったりした後、自分も途中下車して行ったりするのかも知れないし、終着駅があるとしたらその景色も見たいかも知れない。長い旅の途上ではふと気づけば自分が古参化していることを感じて、ケツの座りが悪い思いをすることもありますよね。

  2. @あぶくも

    あぶくもさんコメントありがとうございます。

    そうですね。
    今回のログは、

    月日は百代の過客にして
    行きかふ年もまた旅人なり

    を発詩に頂いた脇詩練習作のつもりです。
    そもそも脇詩は詩ではないと確信しているし、
    練習作というのは、詩になっていませんので。
    詩になっていないというのは、ご都合ですが、
    整っていないという意味です。

    今、思ったのですが、たとえば、
    詩人はひとつのサイトに固執してしまうと
    乗組員側の1人になってしまうのだろうか?
    気がついたら初志を忘れて、
    身内で楽しむだけになってしまったら
    すでにすでにたくさんある名作に対して
    失礼なことなのではないか、
    なんて思いました。

    初志というのは、学生時代、ビートルズの行動が好きで、
    多神教徒を良いことにアーユルベーダにお熱だったとき、
    瞑想の心地よさのなかでうまれるインスピレーションを
    不安だけど間違っていないと思いたくて大切にしたいと
    いうところにある「何か」なんですね。

    その何かを忘れたくなかったので、
    らどみの「ラ」をその要素のひとつとして、
    ララァ(ガンダムの推しキャラ)から
    いただいている「ら」なのです。

    なんて、この起きて半畳寝て一畳の気持ちが、遠いどこかに
    伝わっていれば幸甚なのです。
    詩人でないサラリーマンの私は、この辺のところは、キツ目に、
    好き放題に言っちゃいますけど。

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