雨唄の夜
いつのまにか日が暮れた帰り道
ダウン症をもつ周を乗せた
デイサービスの送迎車の到着に
間に合うよう、早足で歩く
前方には、小刻みに歩く青年が
重そうなビニール袋をぶら下げて
ゆっくり、休み休み、歩いている
ああ、追い抜かねばならない
胸の苦さに
速度を緩め、離れ、進み
曲がり角でふり返った時
青年の姿はすでに小さくなっていた
家に着いた
周が車から降りてきて
パパにハグをする
後ろから支え、二人三脚で、階段を上がる
階下で
玄関のドアが開く音がする
「ただいま」
ママが周の頭を、なでる
***
この詩を綴っている今、隣の部屋から
落ち着かない周の口に食事の匙(さじ)を運ぼうと
格闘する妻の唸り声が聞こえて
思わず私は、腰を上げた
――あの青年は家に着いたろうか
窓外に、何かを囁くような
雨がふり始めた
コメント
青年に日常があるように、剛さんと奥様と周くん家族の日常がある。剛さんと奥様のいのちが周くんであり、周くんのいのちが奥様と剛さんなのでしょうね。この詩は、周くんを思う剛さんと奥様の愛が伝わって来る詩です。そして想像すると、周くんの奥様と剛さんを思う周くんの愛を感じます。
雨唄の夜 という題と最終連がこの詩に いい味付けをしています。
窓外に、何かを囁くような
雨がふり始めた
というね。この最終連で、この詩は無限の広がりを持つことになっていると感じます。
私の勝手な読み方なのですが、青年の姿と、息子さん(周くん)の姿が、ふっと重なったのですね。作者は、青年の中に息子さんを見ていたのではないか…? 奥様の唸り声の描写がリアルに響きます。
「ああ、追い抜かねばならない」
素直にストレートに表現される言葉を発するこの詩の剛さんのこの感じ方が全てだよなぁなんて思いました。良い詩だなぁ。コメント読む前に作品を読みましたが、私も青年と周くんとがシンクロして見えました。
こしごえさん
我が家に温かいまなざしを注いでくれて、ありがとうございます。僕も終連の慈雨が、この詩を詩、たらしめていると思います。
長谷川 忍さん
青年の後ろ姿を見た瞬間、共通の痛みのようなものを感じたところから、この詩は始まりました。
息子への愛情と格闘の両面を描きたい、と思いました。
あぶくもさん
追い抜かねばならない、という偽りのない心の声を聞いて下さり、ありがとうございます。
遠藤周作の云う「哀しみの連帯」を、書きたいと思いました。