黒白灰色の私
私の悪を
悪は肯定している
でも
私の善を
善は肯定している
そして善悪などを私は生きる。
常に今が一番幸せ
と思えれば何も苦労はしないだろう
とこの時に
さまざまなことに気付くことで満ち足りる。
しかし
悪も善も
いつでもどこにも無いのだった。
悪や
善を
決めているのは人間です。
宇宙や自然に悪や善
なんて関係無いよね
そうは言っても
人間社会で暮らすには
悪や善のルールを守る必要がある。
悪や善を無視したら
人間ダメになってしまいます。
私は悪だ いいえ
私は善だ いいえ
悪や善や中立などが
複雑にあるのが私であって、
一概には言えないのが人間だ。
白く輝く月が
夜の闇に
浮かんでいて
濃淡がある灰色の雲が
流れてゆく。
私の宇宙を
宇宙は肯定している
コメント
この詩を読んで、人間がこの地球でつくったものについて、その美しさや醜さ、儚さ、有り難さを思い巡らせました。そして、宇宙は人間がつくっていないけれど、宇宙観は人間がつくっていて、神も(いるなら)人間がつくっていないけれど、宗教は人間がつくったんだなぁなんて思いました。僕たちに断言できるのは、詩は人間がつくる尊いもののひとつです、と言ったところでしょうかね。
@あぶくも
あぶくもさん コメントありがとうございます。
まず、あぶくもさんがこの詩を読んでくれて、その上でさまざまに思いを巡らせてくれたことに感謝します、嬉しいとっても。ありがとうさま。
はい、そうですねぇ。宇宙などは自然にあるものですが、それらとは別に人間がつくった物がいろいろとありますね。でも一つの可能性として、ヒトも自然の一部だと私なんかは思っちゃうんです。だから大きなくくりで見れば、ヒトがつくった物も自然の一部だなんて強引なことを思ってしまう。大体、人間が万物の霊長だなんて、人間が勝手におごり高ぶっているのがつまらない。いえ、これは自戒でもあります。ふふ。
ああ、そうです、あぶくもさんがおっしゃる通り、詩は人間がつくる尊いもののひとつですね。ただ、日本という国では詩という文学がそんなに思われてないみたいなのが残念です。それでも、私達は詩を書く、こころや魂を生かすために、こころと魂の交流をするために、詩といういのち(魂)を書く。まあ、あんまり言ってはつまらなくなるかもしれませんが。ふふ。そういう私は、「詩とは、私にとって、死を含んでいる生(せい)だ」とは思っているけど、そもそも生きることを出来るだけ楽しみながら生きているように極最近ではしています。あんまり難しく突き詰めて行くと分からなくなっちゃうので、結局のところは、(苦しみなどは苦しいので苦しくて嫌ですが、物は考えようで苦しいことや悲しいことは試練みたいなものだと思いつつ)いろんなことが楽しければそれでいいじゃん、と出来るだけ気楽に思うようにしています。ふふ。
@こしごえ
>ヒトも自然の一部だと私なんかは思っちゃうんです。だから大きなくくりで見れば、ヒトがつくった物も自然の一部
確かに!
自然か人工(不自然)か、の枠組みも宇宙視座に引き上げると、やっぱり「ひとつ」なんですね。
@あぶくも
あぶくもさん 返信をありがとうさま。
はい、まあ、意味で論じれば、自然と人工物はもちろん異なるものでしょう。しかし、私なんかは、見まちがうなよ ヒトも自然の一部に過ぎないだろ××、なんてね。ふふ。
あぶくもさんが私の意見に同意してくれて貴重でありがたく思います。うん、宇宙から見ればそうなると思います。うん。
「善悪の彼岸で真理が見え隠れする」とか何とか言ったのはニーチェでしたでしょうか。それはともかく、「善と悪を知ったこと」が動物から人間に変わった瞬間であり、それがまさにエデン追放の話であり、キリスト教的原罪の思想であります。またこしごえさんの「人間は自然の一部であり、人間が作ったものも自然である」という思想はまさに私も共有するものであります。ですから私などは「愛は地球を救う」などという偽善の言葉は嫌いであり、マスコミに対しては「愛は人間を救う」と正しく発信して頂きたいものだと思うのであります。「環境を守ることで地球に優しく」などと言うのも偽善というか誤謬であり正しくは「環境を守ることで人間に優しく」であることは明白です。地球は環境破壊など何とも思っていないのであります。困るのは人間なのだ。そう正しく発信されなければならないと思うのであります。こしごえさんの詩と、あぶくもさんとこしごえさんのやり取りからそのようなことを考えさせられました。
@たかぼ
たかぼさん コメントありがとうございます。
ああニーチェは、ニーチェの言葉を集めた本を持っていて3回位は読んだけれど、その後は本棚の奥にしまったままです。ふふ。
そうですねぇ、「『善と悪を知ったこと』が動物から人間に変わった瞬間である」というのは何だか分かるような気がします。(キリスト教にも全く詳しく無いのですが)知恵の実が関係しているのでしょうか。うん。
そうですねえ。たかぼさんのおっしゃる通りですね。「地球に優しく」では無くて、「人間に優しく」ですよね。ちなみに私、マ〇ゴミは大が無限に付く位大嫌いです、マ〇ゴミはくそ未満(未満)だと私は思っている。ふふふふ。←お目汚し(と過剰反応)失礼しました。。
さて、そうそう。この作品の中でも言ってますが、悪や 善を 決めているのは人間ですね。「地球は環境破壊など何とも思っていない」というのは、私もそう思います。たかぼさんが言ってくれた通り、色々とあって、困るのは人間というのは私も同感です。そして、
「またこしごえさんの「人間は自然の一部であり、人間が作ったものも自然である」という思想はまさに私も共有」してくれて、貴重でありがたく思います。
たかぼさんがこの詩を読んでくれた上に、それらのことをそう言ってくれて嬉しいし、この詩や あぶくもさんと私のコメントから さまざまに考えてくれたようで とっても嬉しい。ありがとうさま。
@たかぼ
たかぼさんへ 追記。
「『善と悪を知ったこと』が動物から人間に変わった瞬間である」というのは、実際 そうだったのかもしれませんね。何をもって「人間」とするか、ですね。それらのことも色々とあるのでしょう。うん。
そうなんです。善悪を決めているのは、人間なのですね。もちろん、自然の厳しさがあって、神様がいて、仏様がいて、お天道様が見守っているのですが、最終的には、人間です。人間の責任、性(さが)は大きいです。
@長谷川 忍
長谷川さん コメントありがとうございます。
そうなんですよねぇ、善悪は人間が決めている。
でも、善悪も一概には言えないと思いますよね。以下は一つの例ですが、たとえば、よかれと思ってしたことが、相手や相手の状態(その時の気持ちなど)や場合によっては、悪くとられることもある。善悪も複雑に色々にありますよね。
まあ、これらは、人間を基準にして考えた場合に限りますね。自然や神さん仏さんお天道さんの本当の意味では(次元(立場)では)、悪も善も関係ないと思う。だって、たとえば、神さんにとって、人間が死んだりしても関係ないもの、神さんは人間が死んだりしても痛くもかゆくもない。そう思うのは、人間の勝手な都合で考えられて決められた一部の人間にとって都合の良い「宗教」が人間が死んだりしたらかわいそうとか言ってる(え、そんなことは言ってない?)だけです。ふふ。それを言っちゃあおしめえよ!とか誰かに言われそうですが、これが私の正直なところです。
うん、人間はもっと謙虚になった方がいいと思いますが、これも自戒です。
ああ、長谷川さんが、この詩の要点を汲んでくれて ありがたく嬉しいです。ありがとうさま。
こしごえ様へ
なんて…むずかしいことを、お話されておられるのでしょう!皆さまのコメントを読ませて頂きますと勉強になりました。感謝いたします。
この作品を拝読させていただきまして、悪や善を決めているのは人間の「都合」?ではないのかと…。その時々の時代を生きます人間の都合?…そんなことを思ったりもします。善とは?悪とは?まさに
白く輝く月が
夜の闇に
浮かんでいて
濃淡がある灰色の雲が
流れてゆく。
この、五行ではないのでしょうか!
私の宇宙を
宇宙は肯定している
リリーはこの最後が好きであります。
@リリー
リリーさん コメントありがとうございます。
うーん、そうですねぇ、難しいことなのかもしれませんね、善悪についてのことも。でも、そんなに難しく考えない方がこの詩の場合いいのかも。
そうそう。善悪についても、人間の都合でしょうね。それは個人個人の場合もあるでしょうし、集団の場合もあるでしょうね、善悪を判断する時って。でも、それらも一概には言えそうにない。んー、やはり難しいのかな。ふふ。
リリーさんはその点をこの詩からうまく読み取ってくれていて、その最後の方の五行を善悪に当てはめてくれましたね。作者は善悪という意味で意図的にそこにその五行を書いたワケではないので、リリーさんがそのように受けとめてくれたことをありがたく嬉しく思います。
そして、最終二行を好きと言ってくださいまして貴重に思います。ありがとうさま。
@リリー
リリーさんへ追記。
他の皆さんのコメントも読んでくれたとのこと。
他の方へ色々と言いたい放題言ったので、言いたいことが今は無くなりました。なので、リリーさんへの返信は他の方よりも短くなりましたが、他意はありませんので、あしからずご了承くださいますと助かります。拝礼 ^^
@長谷川 忍
長谷川さんへ 追記。
でもですね、私の場合、今ある宗教(仏教とかキリスト教とか)の 神さん仏さんではなくて、大昔から言われている万物に神は宿るとか 八百万の神々とかというのもあるし これとは少し違う自分なりの神が何となく漠然と存在していると思っています。まぁ、神さん仏(幽霊や魂など)さんのことも、あんまり深く考えすぎると 頭がおかしくなって おかしな方向へ行っちゃいそうなので、これは気を付けながらですけどね。
でも、神さん仏さんへいつも手を合わせてお礼などを言ってますよ。ふふ。まあ幽霊みたいなの、は存在してると思う。これは、信じられないふしぎなことがあってから、そう思うようになりました。うん。ふふ。^^
こしごえ 様へ
返信をくださいましたご丁寧なお言葉の、お心遣い痛み入ります。
わたくしは、まだまだ人生経験少なくて感性も幼いところがございます。
どうしたら思いの伝わるだろうと自らの言葉を反芻しながらドキドキして
コメントさせて頂いております。
いたらぬ表現を、お許しくださり本当に感謝いたします。( ´ ▽ ` )
今後ともよろしくお願い致します。
最後に、長谷川様への返信のコメントで拝読いたしました幽霊の話。
ちょっと、うれしくなりました。リリーも不思議な体験の記憶がございまして。
この体験とは違いますが、「ある幻影」と題します駅の構内の花屋を舞台に
書いた私の作品があるのですが…。作品の持つイメージの不思議さを、自分で
気に入っていたりもします。(^^)
余計な事までお話してしまいまして、申し訳ございません!(ーー;)
@リリー
リリーさん 返信をありがとうさま。
はい、大丈夫ですよ。こういうのもなんですけど、私は年は取ってますが、いまだに子どもみたいな奴ですので、安心してください。こちらこそ、至らぬ人間ですが、これからも、お互いのペースなどで交流していけたら幸いです。
よろしくお願い致します。(^-^)
ふふ、まあ、幽霊の話もあんまり深く考え「すぎる」と頭がおかしくなっちゃうので、あんまり深入りはしたくはないですけどね。ふしぎな事実は実際にあったことなので、まあ、幽霊は存在してるだろ、位に思ってます。そして、それらの仏さん(幽霊みたいのや魂など)には、いつもお礼などを言ってるだけです。
自分にとって大切な作品というのは特別ですよね。ふしぎな体験を作品に仕上げるという行為は
すてきなことだと思います♪(^-^)