
草原の記―昭和五十二年・有馬記念に寄せて―
いつかむかし
草原のくにの村に
若者がふたりいた
ふたりは
おさななじみのともだちで
いつも馬に乗っていた
信じていた
俺の駆る
雄々しい鹿毛こそ
僕の駆る
凛々しい栗毛こそ
いっとう速く走るのだと
だけど
駆けくらべをすることはなかった
ずっと、ともだちでいたかったから
村はずれには羊飼いの一家
親思いの末娘は
働き者で器量よし
村の若者たちはこぞって馬を駆って
だけど娘がやさしく撫でたのは
鹿毛の逞しい首筋
栗毛の美しい流星
ふたりだけにほほ笑んで
帰り道、鞍の上
口をきかなかった
はじめて黙ったまま別れた
やがての朝まだき
なあ、どっちが勝つかで決めようじゃないか
血走った目
受けた、恨みっこなしだ
痩けた頬
満天の星
その片隅に厩がふたつ
勝たなきゃならない
あいつはともだちだけど
負かさなきゃいけないんだ
決めたんだ、分かるよな
若者は
首筋をなで
流星をなで
先に娘のところへたどり着くのは
俺とおまえだ
鹿毛は一声いなないた
僕とおまえだ
栗毛はじっと見つめ返した
ホウッ! ホウッ!
爆ぜる追い声が
四肢を漲らせる
二頭は轡を並べたまま
駆ける駆ける駆ける
手綱を操れば
鹿毛はぐいぐい躰を寄せる
あえぐ栗毛
手綱を操れば
栗毛はすっとま後ろに取りつく
いやがる鹿毛
抜きたい抜かさない抜けない
離したい離さない離せない
逃げる兎、飛び立つ小鳥たち
狼すらも恐れをなす
草原を切り裂いていく疾風
いのちの塊
ホウッ!
ホホウッ!
放していたいた羊をすべて寝床に帰したら
娘の仕事も終わる
いきなり鳴きだす相棒の犬
どうしたのおまえ
耳をすませば蹄の音
目をこらせばふたりと二頭
娘はもう気づいている
争われているのは自分だと
はやくなる鼓動
ぎゅっと握りしめる手のひら
やがて娘の顔に王女の笑み
夕焼けに
草原の風がおくれ毛を揺らせば
ふたりの男がやってくる
鹿毛と栗毛が駆けてくる
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