パパ、パパ、パパ、

まれな望みと書いて希望だった

知恵の実を食べたアダムとイブが最初にしたのは
葉っぱで股間を隠したことだった
下心を隠すことが知恵の始まりだった

そして、人間はいつ発情していても相手に近づけるようになった

きみのしたことは許されることではない
おれは穴を掘り終えたシャベルを腰より高い穴の縁に投げ出すと
自分が掘った穴から這い上がる
代わりに中身の入った寝袋を穴の中に蹴り落とす
中身は手足を縛られ、さるぐつわをはめられた男だ
寝袋の上下を逆に押し込まれた男の顔は見えない
代わりに足首を縛られた爪先が覗いている
許すことはできない
おれは再びシャベルを手に持つと
呻き声を上げる寝袋の上に土塊を落とし始める
きみを唯一許すことのできたはずの娘をきみは傷つけてしまった
両の上腕の筋肉がぱんぱんに張って、もはやシャベルを持ち上げることができない
土は重かった
すこしずつ掻き落とすように穴の縁から中に土を入れていく
カーキ色の変哲のないキャンプ用の寝袋の表面に黒い土が乗るたび、
寝袋は激しく身悶えして、乗った土を払い落とそうとあがく
子供が出来たと告げたお前を捨てた男は

パパがいま埋めてやるからな

おれは男を暗がりで背後から襲撃した
アパート脇のものかげに潜んだおれを通り過ぎたスーツ姿のがら空きの背中の真ん中を木製のバットで思い切り殴りつける
息を詰まらせて昏倒した男の口が開かぬよう、粘着テープでぐるぐる巻きにする
手首と足首をベルトで締め付け、レンタカーのバンの荷台に乗せる
復讐心がおれに驚くほどの力を出させている
おれは男の住所を突き止め、見張った
生活のパターンを把握し、残業して深夜の帰宅を狙う
男は普通の会社員だった、娘には悪いが、目立つ特徴はない
地味な容姿とスーツがこいつのイチジクの葉だ
深夜、おれは屑野郎を拉致して、穴に埋める
男が出社時に着ていたのと同じ色のスーツを着た人物を暗がりで背後から襲った
そのとき、おれは襲った相手の顔を真正面から見ていない
顔をしっかり確認した記憶がないことをおれは否定できなくなった
寝袋の中に入っているのはもしかしたら別人かもしれない

シャベルの動きが止まる
土に半ば埋もれた寝袋を穴の縁から見下ろす
鼻の下に溜まった汗を舌先で舐める
寝袋の中の呼吸音に耳を澄ます
一戸建ての庭から月が見えた
あの部屋の窓には朝が来ても開かれないカーテンが下りている
おれはふたたび視線を下ろして穴の底を見つめる

おれは寝袋のジッパーを開き、顔を見て、人違いでした、
おれはばつが悪そうにはにかみ、相手は安堵の吐息をつく
それではもう、お引き取り頂いて結構です、とでも言うの?

許してくんねえかな

汗で濡れたシャツが肌に貼りついている
希望が叶うことはまれだ
おれは父親らしく復讐したかっただけだ
母親に慰められる娘と
娘を慰める母親を見て
復讐が父親の機能なのだとおれはついに知った
雄性の親を父親と呼ぶのではない
家族は機能を宣誓する空間だった
父親とは何者なのかについての無知からおれは脱した
しかし、おれの無能は無知とは関係がなかった
無能さだけが残った
デフォルトが絶望である
再び持ち上げたシャベルの先端が震えて土がこぼれる
穴の底に降り、
おれは埋められたい

投稿者

北海道

コメント

  1. 二人の美しい娘と二人の美しい孫娘を持つ身として他人事ではなく心がざわつきました。

  2. 娘を持つ父親としてただならぬ気持ちで拝読しました。これは予告編ではなくしっかり完結している本編ですね、是非コーエン兄弟あたりに映画化してもらいたいです。

  3. パパの脳内には皆備わっていて欲しい機能でした。
    発動させるかはさておき愛らしいです。

  4. @Yatuka
    そうそう、なかなかパパって叫ぶ機会ってありませんからね。この作品が読者に珍しい衝動を提供できたとしたら冥利に尽きます。ゼッケンです。やつかさん、こんにちは。

    >理想像、最適解はきっとないのですが、こうあるべき一つの父親の姿

    これもそうそう、と言いたい。出てくる父親「像」はこの話者の勝手な思い込みなんですが、本人がこうだ、って断言しちゃってる人の滑稽さにはきっと潔さに似た清々しさも伴うんじゃないか、と。そういう当初の目論見はあったんですが、最後はギャグにし切れなかった印象です。

  5. @たかぼ
    二人の美しい娘と二人の美しい孫娘を持つたかぼさん、こんにちは。

    >他人事ではなく心がざわつきました。

    これ、当事者として読み始めて、途中の人違いしたかもというところから、これまで読んだ分を返せ、というような違和感を覚えてもらえたなら、という設計にしたかったんですが、前半のしつこさを後半が振り切れなかった、と、私の構成と文章の力不足を恨んでる今日この頃、ゼッケンです。

    孫、書いてみたい未知の題材だけど、書けるようになるのはまだ先だなあ。でも、書いたらきっと面白いでしょうね。

  6. @あぶくも

    >是非コーエン兄弟あたりに映画化してもらいたい

    ああ、分かられてる。わたしはあぶくもさんに分かられている、と確信しました。だって、コーエン兄弟の名前ってこの2023年の時点では偶然出てこないでしょ。もう、そういうことなんです。

  7. @たちばなまこと

    >パパの脳内には皆備わっていて欲しい機能でした。

    これは仮定法過去。なんとなく、不穏なものを感じてビビるゼッケンです。たちばなさん、こんにちは。いや、いやいや、復讐心の難しさは報復の定量が難しいわけで、ちょうど釣り合うように復讐する機能が欲しい。やりすぎるからね。やりすぎを避けるために復讐そのものを自制しているんだろうと思う。

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