もう、新緑の季節
植物園の塀に沿い
ゆるい坂を上がっていった
塀を過ぎたところで
振り返った
植物園は桜が終わりかけていた
散った花びらが池にいくつも浮かび
水面を隠していた
苦さを誘った
もう、新緑の季節
慌ただしさに包まれつつ
時折見えない景色を見ている
聴こえない声を聴いている。
植物園の塀に沿い
ゆるい坂を上がっていった
塀を過ぎたところで
振り返った
植物園は桜が終わりかけていた
散った花びらが池にいくつも浮かび
水面を隠していた
苦さを誘った
もう、新緑の季節
慌ただしさに包まれつつ
時折見えない景色を見ている
聴こえない声を聴いている。
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コメント
慌ただしい日常の中、自然は自然のリズムとペースで進んでいきますね。題の、もう、というのも絶妙にそれらをあらわしている。
苦さを誘った
この一行だけではなく、他の詩行でも言えることですが。
描写力が鋭く的確なので、感覚的にこの描写されたそのことを読者(私)が感じられます。人生の中のほんのちょっとの物事に気付く詩人の繊細で鋭敏な感覚を思います。
時折見えない景色を見ている
聴こえない声を聴いている。
(題も含めた)全体あってのこの詩なのですが、この二行が特に好きです。詩人の目と耳ですね。すてき。
>ちょっとの物事に気付く詩人の繊細で鋭敏な感覚を思います。
ここの「詩人」というのは、作者である長谷川さんのことを言ってます。拝礼。
あと追伸。
写真の桜が終わりかけなのが分かります。ナイスタイミングで撮りましたね♪写真もすてき♪
新緑の季節になると、落葉の季節を思い苦さを誘うだろう。詩人は見えない景色を見、聴こえない声を聞くので。命の中に死を、死の中に新たなる生を感じるので。
拝読させていただきましてコメントを失礼致します。
私には、第一連目
塀を過ぎたところで
振り返った
ここが、印象深くて好きです。写真も素敵です。
情景に人物のすがたが、くっきりと浮かんできます。
私も、よく振り返り見るのです。
作品を読み終えますと、心となにか…一体化するようで清々しい
気持ちになれました。どうもありがとうございました。
@こしごえ
こしごえさん、ありがとうございます。文京区にある東大小石川植物園を訪ねた時のことを詩にしてみました。今年は桜の開花が早く、四月に入ってすぐでしたが、もう葉桜になりかけていました。最終連目の、景色と、声は、この詩の中で書きたかった部分でもありました。
@たかぼ
たかぼさん、季節の移り変わりは、命の移り変わりを彷彿させるところがありますね。死も、生も、…根底は季節であるのかな。
@リリー
リリーさん、視覚的というか、映像を意識して詩を書くことが多いです。ご指摘の部分、そこに目をとめていただいたこと、嬉しく思いました。リリーさんも、映像が浮かぶような詩を書かれますね。
写真も素敵、詩も、最終連の余韻がたまりません。歩く詩人、長谷川さんの真骨頂のようです。
“ 聴こえない声を聴いている。”
素敵なだなあ。
木漏れ日に馴染む静かな紳士の声を感じます。
@あぶくも
あぶくもさん、ありがとうございます。散策と、花が好きです。今の時期は、気候もよいですので、よく歩きます。詩心が湧いてきますね。
@たちばなまこと
たちばなさん、詩作は、聴こえない声に耳をすますことなのかな、などと考えることがあります。声は、各人、それぞれですね。紳士には、…まだ遠いかもしれません。
華やかな桜から新緑に移り変わる狭間の、少し切ない複雑な気持ちが蘇ってきました。日が昇り、沈むように、世事がどうであれ、季節も変わらず移ろっていきますね。。
@渡 ひろこ
渡さん、桜の花の終わり頃は、寂しいような、儚いような心持ちになりますね。桜から、新緑、そして初夏へ、…詩心も移っていきます。
小林一茶の目出度さもちう位なりおらが春を踏まえて
人生の諦観みたいなものを難しく考えずに生きている
不思議な世界なんだろうなぁとため息が出ました。
@足立らどみ
ああ、自分の鏡をみて思った感想です。
性格の悪さが滲み出ていてすみません。
@足立らどみ
足立さん、人生の諦観みたいなものを難しく考えずに生きている。…何だか、わかるような気がしました。たしかにそうだなあ。だから、たぶん、聴こえない声を聴いている。
@長谷川 忍
まぁ、私の場合は歳とって耳鳴りが強くなってきている
ようにも思うので、最近、静寂のなかで聴こえない音を
聞いているみたいなので、やっと丸くなってきたのかも、、、
執拗にコメントすみません。