1829

彼はある振幅のもとに時間軸に沿って振動する波だった。彼はある曲線を描きながら時空の中を進んでいた。しかし彼とは何の関係もない別の人間の波もこの限られた空間の中に在ったのだ。彼らの波はここで接近する。しかし何事もなく互いの波長のまま茫々たる時空の中を進んでいくこともあり得たのだ。彼らが共鳴しあい乱しあいながら一つの波になっていくとは誰が予知できたであろう。

前髪を上げたらどんなにか美しいだろうと思われる切れ長の眉が髪の隙間から見える。その眉と同時に現れる紡錘形の目、栗色がかった瞳。それらが秘密めいた魅力を造っている。彼はふとモロッコのディートリッヒを思い出す。下顎骨の曲線、官能的な唇、すらりとした鼻骨。しかし美は部分ではない。部分を分析しても美は分からない。美は音楽における個々の音ではない。美は曲そのものだ。美は全体であり調和なのだ。

季節は気狂いじみて明るかった。放射線が彼に降り注ぎ彼の頭の中に七色のサイケデリックな絵の世界を創り出していた。彼は意識的に意識の安全弁を外してこの未知なる果てしない可能性を秘めた原生林の中へ裸の肉体を投げ込んでいた。初めのうち彼は上空の安全なヘリコプターから自らの姿を追跡することを忘れなかった。危険が迫った時すぐに助け上げることができるように。しかしやがて原生林は濃密な樹海へと変貌し彼は自分の姿を見失ってしまう。そうなると追跡は不可能だ。ヘリコプターは捜索を諦めて帰ってゆく。もう誰も彼を助けられない。危険が迫った時に大声で助けを求めてもその声は樹海に吸い込まれていくだけだ。気狂いじみた明るさの原生動物のようにヌメヌメとした樹海の世界はもう彼にとって居心地の良い場所ではなくなる。危険が彼を取り囲む。彼は生命の危機を感じる。しかし彼は無防備で裸だ。安全な世界へ帰り着くためには裸のままの肉体を犠牲にして戦わなければならない。皮膚が裂け血が噴き出すだろう。それでも彼は這いつくばってでも帰らねばならない。それ以外に生き延びる道はないのだ。

しかし今はまだヘリコプターは彼を見失っていなかった。樹海はまだ肌に心地よく暖かかった。彼は自分にどれだけのことができるかを知りたくなった。自分がどれだけの快楽に耐えることができるのか。与えられている全き自由に耐えうるのか。その自由を支配できる容量を持っているのか。おそらくそんな容量は持っていないだろう。だからあきらめようと思ったその刹那「賭博を打ちなさいそうすれば一財産できるわ」と彼の耳元で女神が囁く。たしかに人生は賭けに違いないがこれは必ず負ける賭けだった。しかしもはや誰にも彼を止めることはできなかった。微かに破滅の匂いがした。しかしそれは無視するにはあまりにも甘美な匂いだった。

「わたしあなたに怒られたいの。ねえ怒って。女が怒ってもらいたいと思うのはセックスを求めている時と同じなの。熱くなりたいの」そう言うと、彼女は彼に抱きつき何度も何度もキスをした。

彼は台本に責任を押し付けようとしていた。台本に従っただけで自分のせいではないと考えた。しかし実は台本も彼自身なのだ。あらかじめ台本を与えられていない俳優にとってそれは無限の可能性を秘めている。喜劇か悲劇か、ハードボイルドの主人公を演じるのか惨めなピエロか俳優には分からない。しかしどれか一つなのだ。俳優は一つを自由に選択できる。「きみは自由だ選びたまえ」国のため戦争に行くべきか家族のため家に留まるのか迷って訪ねてきた青年にサルトルはそう言った。そうなのだ。人間には無限の可能性が与えられている。自由に選択することを許されている。人間は与えられた可能性の一つを選択する。それは人間の自由意志によって選択された社会のそして自然の「偶然」である。しかしそれは一つでしかないために社会の自然のそして彼の「必然」である。では人間の運命はあらかじめ決められているのだろうか。そうとも言える。ただしそれを決めたのは自分自身なのだ。「あらかじめ決めたことをそうとは知らずに選択している」のではない。「自由意志によって選択されたものがあらかじめ決められていることになる」のだ。人間は「自由意志によってそれを選択するということをあらかじめ決めたこと」を選択するのである。そして自らの運命を自らの手で創り出していくのだ。この意味においてのみ「人間は総てのことについて万人に責任がある」というドストエフスキーの言葉は正しい。

1829

投稿者

愛知県

コメント

  1. なすべきことが自己にあるというのは、生命体である故に言われることであり、その生命体が自覚を持った時には、なすべきことの相は異相となる、その異相の奥底から、生きることは自由という意味の欠落を生む、そこでは存在は〈確定しない〉、その場所では自己とは永遠の問いのままである。

  2. ドストエフスキーは8歳か。1でまだ始まったばかりなのにこのクールで聡明な熱量がヤバ。意味がわかるとか以前にこういう文章を読んでいること自体に快楽を覚えてしまいます。だから何度かまた読みに戻って来るでしょう。
    ところで、自由意志という言葉が好きでした。好きすぎて新大阪にあった『フリーウィル』というオーガニックカフェ・レストランみたいなところで人と会ったこともありました。

  3. 短い期間でよくこんな構築美あふれる文章が書けるなあ、と感心を通り越して敬服いたします。ディートリッヒが出てくるということは、やはり主人公は『モロッコ』好きの作者本人なんだろうなと想像すると、彼の観念の中に潜り込んだような気持ちにさせられます。

  4. たかぼさんという詩人のこころ、もっと言えば魂は自由なのだとこの詩を拝読して感じました。
    そして、この作者はとことん優しいと感じます。すてき。

  5. みなさん長い詩を読んでくださりありがとうございました。1829という謎の数字には私も随分考えさせられました。結局私は単純に1829文字の詩を書くことにしました。1829文字は長いので常々書かねばならないと思っていた題材にしました。この題材を扱った作品群は私には特別なもので、これは時系列としては詩人会に最初に投稿した「砂丘」と「この世のすべてが10月であったら」の間に位置するものになりました。無粋な解説失礼しました。

  6. “美は全体であり調和なのだ”
    ほんと、そう!!って声に出すほどに共感します。

    哲学の読み物のようであり、何かの作品などのオマージュのようであり。時間をかけてゆっくり味わいながら、とても気持ちよく読みました。これほどの快楽にも耐えられてよかったです。

  7. えっ、エセインテリぶりたいけど、理解が及ばないとこがあったままですが。
    でも文学のぬめっとした、なんか掴みかけた逃げたうなぎのような、忘れられなそうな、感触があって、気持ちよかったです。

  8. 全てを読み終え、あらためて1連目を読み直すと、この1連目が何とも意味深?ですね。散文詩として読み始めましたが、次第に、壮大な戯曲を読んでいるような錯覚を覚えました。役者、演出家は、共に読者自身であります。

  9. @坂本達雄
    さん。「生きることは自由という意味の欠落を生む、そこでは存在は〈確定しない〉、その場所では自己とは永遠の問いのままである」との言葉、深く考えさせられました。

  10. @あぶくも
    さん。「快感を覚える」とのお言葉ありがとうございます。調べたら「フリーウィル」新大阪のオーガニックカフェは閉店された可能性がありそうで残念です。

  11. @トノモトショウ
    さん。「構築美あふれる文章」とのお言葉ありがとうございます。私の好きな映画もちゃんと覚えていてくださってありがとうございます。

  12. @こしごえ
    さん。いつも誰にでも優しいコメントくださってこしごえさんの魂が優しさに溢れていると思います。

  13. @たちばなまこと
    さん。共感して頂ける箇所がありよかったです。密かにたちばなさんがその部分に反応してくださるのではないかと思ってました。ありがとうございます。

  14. @timoleon
    さん。「文学のぬめっとした感触」というのは言い得て妙ですね。ありがとうございました。

  15. @長谷川 忍
    さん。「壮大な戯曲」とのお言葉ありがとうございます。長い文を読んでいただいた後に、再度1連目に戻っていただいて恐縮です。

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