※一部地域を除く
宅配でーす!
おれはガラガラと玄関の引き戸を開ける
この一軒家の呼び鈴は一度だって鳴ったことがない
ずいぶん前から壊れたまま、修理されていない
おばあちゃんは出てこない
おれは靴を脱ぎ、玄関を上がる
すると、左手の居間から若い男が出てきた
なんで上がってんの? 強盗?
男はおれをすこし見下ろすくらい、背が高い
そっちこそ誰です?
おばあちゃんは?
荷物を持ったまま、おれは後ずさり、靴に足を入れなおす
荷物はたいてい通販の健康食品だ
男は言う
おれはこの家の主人だよ
おれには主人という響きが不吉なものにしか聞こえない
おばあちゃんは?
もういちど聞く
生きているのか?
声には出さない
男は一歩こちらに踏み出す
おれは身構える
荷物よこせよ、配達員
男は片手を差し出す
おれは男に荷物を渡す
伝票にサインを求める
男がペンを握って視線を落とした時、その脇を縫って靴のまま廊下に上がりこむ
おれは怒りに駆られていた
この住宅地は高齢者ばかりで一人住まいも多い
おれは配達をしながら安否を確認し、ときには世間話もする
おれは住人に感謝されており、ただの配達員以上の存在となった自分に満足している
侵入者である男に主人を名乗らせはしない
おばあちゃんは居間に敷かれた布団に横たわっていた
ごめんなさいね、わたし、もうすぐ逝っちゃうみたい
おい、靴、脱げよ
男は緩和ケアの看護師で
看護師が主人を名乗ったのか? 許せない
違うの、ほんとに主人なのよ
遺産目当ての結婚だろう
それにしてもこんな若い男とどこで知り合ったというのか
いや、だから、本物の主人なの
数年前に亡くなったのが生き返って迎えに来てくれたのよ
認知症が進んでいるようだ
おれは警察を呼ぶと言った
死人のおれおれ詐欺だ
かまわないぜ、おれはすぐに戻ってくる
おばあちゃんはうなずいた
男にすぐに戻ってきてねと言った
男を警察に引き渡したおれにおばあちゃんはありがとうね、心配してくれて、と言った。それから、
入院はしない、主人が迎えに来てくれるから、
と付け足した
そうですか、と言っておれはおばあちゃんの家を出た
今夜死ぬんだろう
おれには配達すべき荷物がまだたくさんあった
待っているおばあちゃんたちも同じ数だけいた
コメント
はらはらしながら読み進めての最後の2行が、ほんとにもう。効いてきます。
着想が素晴らしいですね。展開にもハラハラさせられました。結局男が蘇りの夫なのか詐欺師なのか明らかにされないのも良いですね。荒唐無稽に思える話に通底する思想が「愛」であることも。
スリリングな展開と余韻を残す終わり方。お迎えの時の光景が見えたのか。ああ、また素敵なショートムービーだ。
@たちばなまこと
>最後の2行が、ほんとにもう。効いてきます。
これね。この2行。よく絞り出せた、と、我ながら、ほんとに。間一髪、ゼッケンです。たちばなさん、こんにちは。脳波測ってると運動準備電位というものが取れて、それは自分が例えば指先を動かそうと決める1秒ぐらい前から発生してるそうです。だから、自分の意図的な運動の順番というのは、脳の活動→自意識の主観的な意思決定の体験→実際の運動となる。自分で指先を動かそうと「決めた」ときにはすでに指先は動く準備ができている、ちょっと言い方を変えると指先を動かす準備ができたから、指先を動かそうと決める。だから、坂本さん風に言うと私たちは詩の神に書かされている。自分の脳が書いているんだから、当然、自分が書いているわけだけど。でも、不思議だと思う。
@たかぼ
>荒唐無稽に思える話に通底する思想が「愛」
なぜなら、人類の知り得る物語の中で「愛」がいちばん荒唐無稽だから。くぅー、かっこええ。ゼッケンです。たかぼさん、こんにちは。どんだけでもご飯おかわりできますね、愛は。とはいえ、書いたわたしが言うのもなんですが、いまではこの話は愛に辿り着けない者の嫉妬を描いているように読めます。最後の二行は作中話者の負け惜しみのような気がする。おばあちゃんにはどこからでも戻ってくると言ってくれる人がいる。配達員は配る荷物がなければ戻ることができない。その質の欠落を荷物と同じ数だけのおばあちゃんという量で埋めようとする配達員の必死の痛々しさに対して、読者の中に慈しみの感情がどばどばと。
@あぶくも
>ああ、また素敵なショートムービーだ。
絵が浮かんでくれたようでうれしいっす。というか、あぶくもさんがそういう視覚型の人なんだろうな。配達員は濱田岳、若い男は鈴木亮平、おばあちゃんは草笛光子さんでお願いします。べたですみません、ゼッケンでした。