溌剌と―

太陽を飲み込んで―これが
幸せ と言えないであろうか?
指先から足の先までが
ジンジンと脈打ち始める
時に輪になって踊りたく
なる時もある それは
単に季節の計らいだけではなく
自分の放った矢が 自分に
還ってくることの発見でもある
時刻が太陽を通り過ぎるのか
またはその逆か(同質であればよい)
その真偽は問わないが 恐らく
毎日の繰り返しの延長線上での
確乎たる<出来事>ではないか―
それらを溌剌と迎える目と
それらと一緒に発展してゆこうとする
小さいながらも意志と―目が
確実に見開かれてゆくとしたら
この時である いかに弱い
視力でも 光りの方へ誘われる
その視座が確立されるのである
何も怖がることはない
自分の経験と実際が覚知される
その時点での学習であるから―

投稿者

岡山県

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