アンダルシア

水中から生きものの世界を見ると
きっかりと屈折する
飾り付けられた精神、路上を行く
乾いた冠を額に縫い付けて
コンスタンティノープルの着飾った精神
祝電のテーブルに花を飾ろう
ピスタチオの精神、感電死のあなたとともに
ゆうらんだ、ゆうらんだ、
おごそかな祭りの盛んな肉体の躍らせよ
ピンクのまだらの蛇のコントラバス
おうらんちか、おうらんちか、
クルド人のしゃりしゃりと、サワーのスコールと
たちくらみ、たびびとの、くらくらと、まいあがる
アイスキャンディーの水道水の
ココナッツのミズスマシの
おうらんちか、おうらんちか、
彼方へと消え去るものはつねなるもの
わたしたちの喉笛をかき消して
標高差のある都市へと震撼する
アンダルシアの鉄砲水
消えそうでまた、消えそうでまた、
海峡は晴れやかに皆さんの食欲をしたり顔で
みたすでしょう、みちみちて、
コスモスのトランポリン
洋上はすさまじい回転の砂嵐
ダマスカスのパシリ
交戦する国々の横車、たおれそうで倒れない
ひとつのひみつのひらかれて
我々はみのまわりの、やすらぎを犠牲にする
そしていかんともしがたい祭りの
犠牲者たちを
ほこらに入れる。

投稿者

岡山県

コメント

  1. シュールレアリスムの洗礼を受けたものにアンダルシアという名前が特別に感じられるのは、かのダリたちによる映画「アンダルシアの犬」がどうしても連想されてしまうからでしょうか。しかし同時に詩人にとっては偉大なるロルカをも想起されるので複雑です。もちろんBGMは「アルハンブラの思い出」で。

  2. @たかぼ
    さんへ、「アンダルシアの犬」は兵庫県立美術館の特別展で見ました。すばらしい世界。詩人たちは眼を閉じている。その意味はあまりにも深い。どれだけの深淵が詩にひらかれるのか。理性のこわれるまえに。

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