Speak in Parables ( I )

彼女は彼を理解していると思った
しかし彼女が理解しているのは彼の言葉だった
彼女は彼を信用していると思った
しかし彼女が信用しているのは彼の言葉だった

彼女は言葉に捕らえられて
身動きがとれなくなっているのに
自分が自由であることは
生きていることと同じくらい確かなことと思っているため
自由を考えたこともなかった

しかし我々は彼女と同じ間違いをおかしている

個人が個人たるのが
他人との関係に拠るのであれば
我々が言葉の他に
有効な思考の伝達手段を持たない以上
言葉こそが個人を定義するものである
にもかかわらず
言葉は呪われている
にもかかわらず
言葉は宿命的に正確でありえない
にもかかわらず

我々の難儀はまさにここにある

彼は言葉の裏切りを知っていた
Speak in parables
それは賢明だ
言葉が真理を掴もうとしたとき
真理はざるからこぼれ落ちる水のようだ
言葉が真理の的に射られたとき
空間の歪みに沿うかのように巧みに的をはずす

核心に迫るため
敢えて核心に触れないこと
核心を明らかにする方法はそれしかない
核心の輪郭をなぞるように
その姿を暗示する方法 譬えでしか

教えることができるものが
偽りであることに
あなたは気付いているだろうか
思想が言葉になったとき
それは物体のように受け渡しができるものではなく
あなたの中に
私のではなく
あなたの言葉が現れなければならない

遂には言葉がそれ以上進むことができず
退行しないためにはただ沈黙するしかなくなる
という
言葉の彼岸に
真理は見え隠れする

投稿者

愛知県

コメント

  1. こんにちわ言葉さん、こんにちわ、さようなら言葉さん、さようなら、あしたまたあいましょう、あしたまたあうでしょう。

  2. @坂本達雄
    さん。いつもコメントありがとうございます。感謝の気持ちを次の言葉に変えたいと思います。はじめにことばがあったことばはかみとともにあったことばはかみであった。

  3. 真理を握り締めようとした瞬間、それこそ「こぼれ落ちる水」のように手のひらの間から擦り抜けていくというのは、言葉の特性であると思いますが、そういう困難に立ち向かってますね…。そういう足りない何かを補うために詩があり、小説があり、あらゆる芸術表現がありましたが、そうした致命的な何かを、寄り添う二人が芸術で埋められていた時代というのが、私は本当に羨ましいです。

  4. たかぼさんの、詩人としての矜持を見るようでした。「我々の難儀はまさにここにある」のですよね。ひとりが放つ言葉が、相手自身の言葉となって結ばれるか、熱や電気信号として伝わることを切望します。記号化されてこぼれ落ちるものを掬い上げるのは、記号化されない行間や沈黙かも知れないけれど、個人的にはそれらも広義の言葉、詩であってほしい。そして我々は関係性の生き物であるということからは逃れようがないのだなと最近特に思います。

  5. @kishiaki
    さん。いつもコメントありがとうございます。言葉の特性に思いを馳せ、その不完全性を補完するための詩や小説やその他の芸術なのだというご指摘ごもっともだと思いました。

  6. @あぶくも
    さん。いつもコメントありがとうございます。「詩人としての矜持」とのお褒めにあずかり恐縮です。思考を言葉という記号に落とし込む際に零れ落ちた行間や沈黙も含めて言葉であり、それらを含めて詩であるとのご指摘ごもっともだと思いました。私たちは関係性の生き物でありその根幹をなすのが沈黙も含めた言葉なのですよね。

  7. きっちりと理知的な書き方でありながら、不思議な叙情も見え隠れします。そこに惹かれました。叙情詩は、読み終わって、その人を好きになるような詩だ、と評した方がいました。…渾身の一作ですね。

  8. @長谷川 忍
    さん。過分なコメント頂きましてありがとうございました。

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