距離
電車に乗ろうとしたら
頭の先から尾ひれの先まで
すっかり人魚になっていて
人魚は乗れません、と
電車の人に断られてしまった
取引先には遅れる旨連絡をして
しばらくホームで待つことにした
夏の暑さが人魚にとって
こんなに過酷なのだと初めてわかった
三十分後、ようやく
人魚専用列車に乗ることができた
これからどう生きたらよいのか
他の人魚に聞きたかったけれど
皆、適度な距離を保ったまま
自分のことをしていて
見知らぬ人魚のことなど
誰も気に留めてなかった
泳いで行った方が
取引先には近いことに気づき
海に一番近い駅で
降りることにした
コメント
人魚であるがゆえに一般車両に乗車拒否されるなんて多様性に反する社会でゆるせませんね。それにソーシャルディスタンスという物理的距離を重視するあまり、人魚同士の心の距離まで広げてしまうのは愚かです。人魚だって人間だ。いや魚か? 魚にも人権はあるのか? 魚権?
距離。うん。主人公が人魚というところが効いていると思います。まるっきしの非人間でもなく、まるっきしの人間でもなく、人魚。
距離を持たれるという点では、個人的にひとごとではありません。強い社会性をこの詩から感じます。
カフカ的な感慨もありつつ、主人公の人魚(や専用列車の人魚たち)がアリエルのようかシーマンのようかで大いにイメージが変わってしまうのですが、これからどう生きたらよいのか、距離をはかりながらも話を聞いてみたいです。
たかぼさん
コメントありがとうございます。
人魚がいつの日か人間と同じ車両に乗れる詩が書けるといいですね。人権でもなく魚権でもなく、人魚権です(キッパリ)
こしごえさん
コメントありがとうございます。
とかくこの世はせちがらいですね…
人魚だからこら見えてくるものもあるかもしれないです。
あぶくもさん
コメントありがとうございます。
シーマンは嫌だな…
昔、がきデカという漫画で魚の体に二本の脚が生えているというバージョンの人魚もいましたが。人魚だから背負わなければならないものもあるのかもしれません。