英霊は、生きている
「ステージの上で死にたい」
と、ヨーロッパ人のスターは言った。
「文人として死にたい。死ぬ覚悟だ」
と語る人もいる。公のために死ねるなら、それでいいと言い切れる人たちの心には、曇りがない。それに比して、私人と言うものの、なんと辛気のこもったことか。始終、内心苛々カリカリしながら平静を装い、決して心を開こうとしないその浅ましさ。公務に当たらずとも、公のために生きることは出来る。何故、それが分からぬのか? 公が狂ってしまった時にそこから退き、その世界で生きていたくないと体勢に反旗を翻す。文化のために死ねる人間は、文明人として生き続ける人間である。
カラオケスナックに行っている時、ご飯を食べている時、床の掃除をしている間、私は文明という法の世界で生きていることが、楽しくて仕方がない。賢い人ほど、笑う。笑うなという法はない。英霊の特攻だって、突き抜けるように、痛快なお笑いだとは思わないか? まるで、天才バカボンみたいじゃないか? 英霊は文明人として、突き抜けるように痛快な文化の世界に、自らを解き放っていったのさ。人間が猿へと変わらぬ限り、文化文明が続く限り、英霊はこの胸に生き続けている。信じる。
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