見てわかること、沢山あるネ!

他人の頭の中身、つまり想像の世界や、論理内容を見る時、互いの間に、紙を何枚か置き、片方が議題を決めて、その内容を書いたものを相手に渡し、質問された相手がペンで応じ、回答に対し、追及や応答、更にそれに対する応答を繰り返し続けると、口で発するより、イマジネーションに溢れた一つの物語が、紙の上に書き表されたものが残る。そこで分かることは、我々の間にはどんなに近い距離にいても、永遠の距離があり、決してわかりあうことがないと言うことが、分かる筈です。

しかし、相手の目をじっと覗き込んで分かることはなんでしょう? 不思議だなぁ、と思い相手の目を思わず見る。しかし、それでなにかが分かるわけでは特にない。喋りながら相手の目を見るのは粗野で品がない行為です。少し目と鼻の間の先を見るといいと私は教わりました。私が目を逸らして話す癖があったからなのか?
「話す時に相手の目を見て話せ」
と言われたこともあります。内心抵抗がありながら私がそれを実行すると相手は確かに無意識で嫌がる仕草を見せる。目を見られて話されると変な感じがするし、その上で舌で関係のない話をされると、相手に興味を目で示しながら、舌で別の話をされる訳だから、それが異性の場合、策略や企みの気配まで感じるものなのかも知れません。男というのは感覚や動物的本能において、大きく女性を下回り、不器用な生き物です。しかし、論理能力は女性より優れている。口で説明されると女性はそれを怖がる。文学のエロスというのを女性はイやったらしいと態度で表しながら、その実、男性より興味を示したりもする。思わず腰を抜かすような大胆なところを時折見せるのも、女性の特徴の一つです。多く男女のすれ違いは論理性に置けるものですが、女性が論理の世界で生きていないということを、どこかで男は諦めなければいけない。説明に説明を重ねても生理感覚で生き続けるのが女性の強味。

その昔、フランス座で活躍したコメディアンが、弟子の目をじっと見て困るという話を昔テレビで紹介していたことがあります。相手の目をじっと見る。数時間見続けても結局はなにもわからない。これも一つのコメディー。コメディアンの天性を示すエピソードかも知れません。
わからないことがわかった。さよならだけが人生だということなのかも知れません。

投稿者

静岡県

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