心音
青々とした深い緑の葉っぱが落とす影を
みつめる心音は
いずれ脈を止める時を
思い
現在を刻む
私の
悲しみを
空気に
つぶやくと
悲しみは胸にしみてくる
そして私は
青々として黙って狂う
青空の静かさが
神経過敏を起こし
私の
額をさわさわと波立たせる
いけない
これを
言っては
いけない
ことを言う
私には
悪もある
私の
悪を
肯定する
悪
これらの
悪を
宇宙は黙って問わないまま
しんとした
こころの闇に
心音は
とくんとくんと
思う
コメント
善なるままで人生を全うできる人なんてどれだけいるのでしょうか。
生きていくためには狡猾に騙し合い、才能ありそうだったら貶して
若い人の足を引っ張り、潰していく大人が貧しい大都市にはたくさん
いました。今もいます。それでも若い才能のある人の中には残って
才能を開花できるのかもしれません。しかし安心できる環境のない
大都市=世界では、新しい試みは常に否定されてその場で力のある
(名声のある、財力のある、人脈のある、主張の激しい、声の大きい)
人の意見がとおり、
とくに意見のない関心のない自分のことだけで精一杯の私たちは、
少数派の反対意見には、めをつぶり耳をふさぎ時には為政者や
権力者が発する考えや思考に同調すらしてしまい生きています。
ゴッサムシティにはいつの日か聖者はやってくるのだろうか。
こしごえさんの作品を読んでいて外の景色に目を移しました。
@足立らどみ
らどみさん コメントありがとうございます。
うむ。まず、らどみさんが、この作品(作者の思いなど)に対してコメントもしてくれたことに感謝します。らどみさん、ありがとうさま。
そうですねぇ、うん。時々思うのですが、100パーセント善の人間も居ないだろうし、そのかわりに100パーセント悪の人間も居ないと、私は思います。どんなに善人な人間でも、こころの中には悪の一つや二つ・・・・・・はあるのではないでしょうか?それとは反対にどんなに悪人の人間でも、その悪人にも一つ位は善いところもあると思う。ただ、一つの見方では、悪人は嫌いですが。
この作品にも書いた通り、私には悪もある。なので、だからこそ、出来るだけ悪い部分は出さないようにしているし、善い部分を出せるようにしている。
そして、私の場合ですが、こういう人間社会であるからこそ、今の自分に出来ることを一つ一つしていくだけです。出来ないことは出来ないのですから。今ある物事の中で工夫をしてやっていくしかないのではないでしょうか。(自分の理想としては、)禅の言葉かな? 足るを知る、で生活をしていきたいです。
まあ、複雑な人間社会では、私という奴は、静かに狂っているしか生きていけませんけどね。狂ってないとやってらんねーや、というのが本音です。ふふ。でも、みんな(全て)への感謝は忘れ「去らない」ようにはしたいです。色々な意味や次元で。ふふ。