日々のあいさつ ――洗足池にて
休憩所の屋上から
緑に囲まれた洗足池を見渡す
目線の先で、風に乗り
タンポポの種よりも大きな綿毛が
そよそよ舞い
水面(みなも)を遠のいてゆく
あれは何だったろう?
思い返しながら
池の周りを歩いて
木陰の小屋で、腰を下ろす
︎ ︎ ︎ ︎ ︎只、遠い水面の漣(さざなみ)をみつめる
風に押され、小屋に入ってきた綿毛が
生きるように転がり
私の足下で、また浮かんだ
( スマホを手に取り、調べると
︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎オニタビラコの綿毛であった )
今日という日の
私にあいさつするものは
人の言葉だけではないらしい
コメント
その存在に気付けば、さまざまな存在が自分たちに語り掛けていますね。剛さんのこの詩を拝読して、そう思います。
緑に囲まれた洗足池という場所もいいですね。
才能あると思います。大変、叙情的な作詞ですね。わたしは、覚歩Sundayというペンネームで、投稿しています。ぜひお読みくださることを、祈ってます。コメントおまちしています
こしごえさん
洗足池のひと時が詩をくれたことに、感謝しています。僕自身も、この詩の感覚を忘れずにいたいです。
覚歩Sundayさん
はじめまして。ありがとうございます。タイミングをみて、拝読いたします。
その綿毛に亡くした友を思ったことがあります。
時間の流れ方が作者(詩人)らしくて安堵感がありました、
たちまこさん
自分で気づかなくても、目に見えない大切な存在がサインを送ってくれていることはある気がして、はっ・・としました。
詩の次元の時の流れも、忘れずにいたいです。