プラハの桜

窓の外からプラハの音がする
かつて愛していた人や物も
眠たい砂鉄のように
廃屋に降り積もっている
少し押し込むと
そこで手触りは行き止まり
肉体は肉体たちのメニューとなり
旧市街地広場の石畳に
自由落下する

カルレ橋に向かう途中で
スラブ系の老人が笑いながら
トーヤマノキンサン、と
声をかけてくる
トーヤマノキンサンは
もう生きていない
子供の頃に見ていた
中村梅之助ももういない
昭和の終わりに、江戸の時代もまた
ひっそりと終わった
トーヤマノキンサン
トーヤマノキンサン
男の欠けた前歯の奥に
暗く澄んだ肉体がある
発せられる音や臭いは
この都市の堅く強靭な椅子に
座り続けることで刻まれた
皺のひとつだった
中庭の洗濯物を揺らし
路地を吹き抜ける風に消えていく
いくつもの皺のひとつ
ヴルタヴァ川を
重く低く流れる年月に
桜吹雪が舞い落ちる

窓を開けるとプラハの音は
あっけなく終わり、外にあるのは
日差しと湿気が
どこまでも果てしなく続く
この国の夏だ
終わらない夏に産まれ
終わらない夏に死んでいく
儚く、強かな命だ

トーヤマノキンサン
もういないよ

投稿者

コメント

  1. 「プラハ」への誘引が見事です。
    そして、「老人」が魅力的に描かれている。それと街の情景などもすてき。桜吹雪までのくだりとか。

    窓を開けて、意識が帰って(?)くると「この国の夏」に戻り、
    終わらない夏に産まれ
    終わらない夏に死んでいく
    儚く、強かな命だ
    という。
    強かな命にあこがれるけど、私にも 強かな命があるのだとしたら、いいなぁ、と感じます。

  2. @こしごえ
    こしごえさん、コメントありがとうございます。命は強かなだと思いたいです。ある日ふと儚く散ったとしても。暑い日が続き、更に二つの台風で過酷な夏になっています。この季節はどうしても散っていった命に思いを巡らせてしまいます。
    ありがとうございました。

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