石井くんの思い出

石井くんが僕に
「お前の母ちゃんでべそ!」
と言う。僕は思わずどきりとする。
映画『スタンドバイミー』で、映画中入るナレーションに
「その人を怒らせるには、親の悪口を言うといい」
と言う教訓が紹介される。私が思うに、それは弱味を持った病んだ子だ。小学校の同級生にそこまで親の悪口を言われて怒る人がいたか? あまりいない。
健常者の強さは、そこまで親を大事だと思っていない節があるところだ。
親のために子供が死んでも仕方がない。その生物学的道理に皆従順だ。
私の親は私の悪口を平気で言うし、他所で言われても、自分が他所で言うのも平気だが、その息子の親であることを自分が認めることは、我慢が出来ない。そんな親の悪口を言われて何故怒るのか? そこに弱味と病がある。
石井くんの口癖は
「そんなもんよ!」
軽い調子で、なにか人生を悟ったかのような達観を見せる。子供のうちから、悟ってしまう人間にろくな人間はいない。掛け算や割り算ができるくらいの年齢で、達観してしまうのは問題がある。しかし、世の中外へ出て、色んなひとがいると思っていたが、どこかであの時の石井くんの
「そんなもんよ!」
以上のものを見つけることが難しい。
食パンマンのような顔をしている。顔は細長く、色白で童顔。声はダミ声で、長井秀和に、似ている。近所で同級生の大貫くんをやたら尊敬している。それはもう信仰に近い。謎の信仰と宗教心である。『大貫教』とでも言うような。大貫くんが、なにか言うと、後で私に
「大貫くんが言うからには、なにか深い意味がある」
と私にお説教をする。私はその意味について考える。大貫くんは、屁をした後、そこに手をかざし、その屁を我々に差し出して、
「くせーだろお!」
と何故か、大喜びする。うーん、私の頭が悪いのかも知れないが、理解に苦しむ。大貫君が、突然ジャンプし
「ソーダ、ソーダ、ソーダ!」
と言う麻原某のような、達観ソングを歌うと、一緒に帰る子供もジャンプして
「ソーダ、ソーダ、ソーダ!」
と歌う。オリジナルのアイデアと歌詞。その後歌のオチはない。ジャンプして歌った後に落ちと着地点がないのだ。私は自分がそこに参加したことを当初から途轍もなく恥ずかしかった。そう言う美意識がない人間に囲まれて生きていたことが、途轍もなく恥ずかしい。私は今でも自分が、その恥ずかしさの中をずっと生き続けているような気がするのだ。

迷妄の世界は、確かに深い。が、それは永遠に抜けられない穴としての深さだ。私はむしろ軽薄で単純な結論が欲しい。一足す一は二である。豆腐が二つあれば、それは豆腐1足す豆腐1で、二丁と言うような。

その内容をじっくり考慮し、大貫くんが言った言葉の深みについて審査評価した結果を言おう。大貫くんが言った言葉の意味と深みについて。
「ない!」
それが私の出した結論です。

投稿者

静岡県

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