自我の芽生え
私にとって、ボランティアは常に存在しなかった。
利益を抜きに他人に奉仕するというのは、大人のやることではない。
長兄は同性愛者であることを、彼の恋した男の子に見抜かれ、弱味を握られて、集団内で陰湿な虐めを受けた。父親や母親は保身を選び、家庭内で言論は統制され続けた。
児童期に幻聴が聴こえるというのは、相当過酷なストレスがかかっていたようだ。
父親はヨガに通わせたが、動物的本能の浄化はそこでされることはなかった。
長兄は、熱心に深夜番組を見ていて、それを私がサッカー中継を見たいと邪魔されたことに怒り、目を真っ赤に腫れるまで、殴った。
父親は怒ったが、長兄の怒りは収まらなかった。
何故、長兄がお色気番組を熱心に見続けたか? そこに、彼の妥協と屈折がある。
彼は本来、女性にそこまで性的な情熱を持つような人間ではない。同性愛の解消としての異性愛を熱心に追い求め、それは満足いくまで得られることはなかった。
彼が異性に求めていたのは、常にトモダチであり、女性は本能的にそれを察知し、警戒心を見せることは少なかった。
彼は私を自身の歪みの解消のために選び、痛ぶりながら、発散を求め続けた。
音楽にも救いを求めた。官能的オーガズム。ありとあらゆることを試した。
私が彼に少し性的な願望を抱かれていたことを察知し、家族に相談したが、取り合うことはなかった。
拘置所から、精神病院に再入院する前、彼は熱心にエロ本を読んでいたが、彼が求めていた欲情はそこになかった。
長兄は常に優しい。そして、一途である。
彼の愛情を足蹴にし、皆を呼び集めて脅し、残酷な虐めを与えた子供。子供に罪は問えない。
監督責任者である、親が不在。それが彼の非行の原因であり、長兄いじめの発端である。
父親も母親も悪くなかった。問題は私がその解消に選び抜かれたことであり、そこで私がそれを正しく認識し、告発することに努めます。
真実は常に情報の中にない。
『正しさ』とは、己の腹心によって、物事の解釈を捻じ曲げない、その知的誠実さの中にある。
洗脳されている人間こそ、洗脳されているとは、騙され被害者を演じることにより、腹心の充足を選ぶ行為に他ならない。
腹心から出した答えや言葉の中に真実はない。
腹心を否定するということは、下半身の欲求を否定することであり、子供が産めない社会を望むということだ。
人間の腹心のために、人間が生まれるのであれば、次世代の可能性のために、腹心を真実より優先するのが健全である。健全でない世の中を願うものはあるまい。
長兄の問題をまともに取り扱わず、責任を放棄したのは、両親である。
しかし、外の世界に助けが得られたであろうか? 一般家庭が問題の解消としての妥協を選ぶ時、常に問題は内に向かう。ドメスティックバイオレンス、激しい言論統制と威圧恫喝。
私も激しいストレスにより、幻聴持ちになったが、強靭な理解力と集中力、客観性を保つことにより、健全を保っている。
表現に強制力が発生してはいけない。しかし、緊急時に限り、許されるかも知れない。
問題の解決は見えない。表現の自由が約束される社会で、押しつぶされ、誰一人人が救われていない。
自由とは、確かに怖い空恐ろしきものである。
同性愛は現在は建前では人権が認められてはいるが、当時私たちを取り巻く環境の中では、理解されることはなかった。人は腹心を満たし、利益が得られる人間にのみ、救いを与える。ボランティアをやり、騙されていたのは私だけだ。家族は長兄が同性愛者であることを私に対し、情報を与えることはなかった。子供が人のためにボランティアをやる社会。その世界を私は生き続け、今やっと人間として自覚が芽生え、自我に目覚めた。私の知恵遅れと、病める人々のために、想像の世界を私に与えた神様に感謝します。
コメント
こんにちは。いいね、をつけるのは憚られるのでコメントのみで失礼します。この話が実話なのかどうかはさておき、テレビで放映されるような、綺麗な虐待、ではなく本当に生々しい虐待の実情で、私と報道を見るとどのようなことが行なわれてきたのか想像はしますが、大雑把な酷い話ではなく具体的なところまで言及されていて、絶望しかありません。
兄のお色気番組をみたりエロ本を読んだりする件は必死に自らの存在を見つけているようであり、哀れで肩入れもしたくなるところなのですが、それはものを書く人間もしくは読書のエゴのようなものであり、壮絶な人生を送ってきた語り手あるいは作者にとっては本望でなく、許し難いことと察します。コメントを書き始めたものの、どのように締めるべきか自分でもよくわかりませんのでこれまでにしておきます。失礼します。
たけださま
コメントありがとうございます。
絶望させてしまいましたか? しかし、絶望は望みを立つ、諦め悟りを得る。その上で新たなゴールを目指すと言う意味で、僕自身は決して悪いことばかりだとは思わない。
恋愛の際に男女がうまくいかない時に、どちらが異性の要求を拒むか? そこが、兄が、女性との付き合いを続けることに無理があった点です。何故女性と付き合おうとしたのかと言うところにも屈折がある。
日陰物の世界でずっと代わり映えのしない毎日を送ってきました。壮絶と言うに値するかわからない。現実は目まるしく移り変わるのではなく、想像力とそれを通した対象への感情移入の世界だけが目まぐるしく移り変わる。内面的な変化への思いに、外側が答えてくれない。それが貧乏の辛さです。
ありがとうございます。