銀河の岸の小鬼と私
大切な大切を捨てて、
本当に大切な存在を守った。
それから
日常に帰ると
地上部は枯れた草の
養分を生かすのは
土の鎮魂歌だった
昨日の雨は
どこか
これも 生きるため、と
この魂という命に従う
この私という存在の
きたならしい部分も
みにくい部分も
私という人間なのである
このかわりに
この私という存在の
うつくしい部分も
すこしくらいなら
あるだろう
複雑な存在である私は
人間の人間そのものか
小鬼が銀河の岸で私に手をふっている
小鬼はかつて私だった。
小鬼だった私の
今日は晴れた
いくつか浮かんでいる雲はぽっかりとしてる
虫のお歌と時折聞こえる鳥のお歌
命の歌がそこにもある。
魂を捨てて、
魂を守ったのです。根は生きている
コメント
ひとは、自らの中に、清らかさと、濁り、小鬼を、合わせ持っているのかもしれません。要は、それを自覚しているか、否か。私の中にも、小鬼がいます。…普段は胸に秘めていますが。
@長谷川 忍
長谷川さん コメントありがとうございます。
そうですね。長谷川さんの言ってくれた通り、ひとの中にはさまざまなモノがあるんですよね。その中には、小鬼が居る。でも、私の小鬼は長谷川さんのおかげで鬼の仲間が居る銀河の岸に帰りました。その上で、私という存在には、きたならしさも、醜さもなどもあって、でも少しかもしれないけど きれいな部分もあるんだと思っています。そう、複雑な精神の自分が居ます。
うん、私の場合は、詩を書いていなかったら、どうなっていたか。そう思うと少し怖いかもしれません。でも、詩のおかげでこうしていられる。そして何より、その書いたものを読んでくれる人が居る。とってもありがたいです。
長谷川さんのお心づかいが嬉しい。長谷川さん、ありがとうさま。