詩、ってなんだろうか
呼吸、だろうか
人生、だろうか
発散、だろうか
(これら最もらしいものだろうか)
過去、だろうか
現在、だろうか
未来、だろうか
(これらはどれも見栄だろうか)
己、だろうか
我、だろうか
私、だろうか
(何れにしても自己中心だろうか)
他者、だろうか
自然、だろうか
尊重、だろうか
(まったく実感の湧かないものだろうか)
愛、だの
知、だの
県、なのだろうか
(ただの語呂合わせだろうか)
などと溺れ
歯軋りし
考え
苦悩し
悔やみ
涙を携え
喚き
傲り
騙し騙され
それでも嗚呼と嘯くことだろうか
わからない
という言い訳を抱えて生きてゆくことだろうか
何れに、何れにしても綴ってゆくことなのだ
答えなど、
死して、死して得ればよいことなのだ
私は足掻こう
もがき にくしみ 黒く染まろう
歩き始めたばかりなのだから
辛く痛く刺さろうとも
抱えてゆくのだ借りものの
我が身抱きしめ悠久に
その時まで、それも越えて、時を越え
心従い抗うのだ
陳腐な文句の蔓延る世界に
さあ、起きろ…!
コメント
ぺけねこさんにとっての詩が苦悩と共に書かれている詩ですね。
思うんですが、それぞれの詩人にとっての、その詩が詩でしょうね。ある意味では、その読者が「これは詩だ」と感じれば、それは詩でしょうし、「これは詩ではない」と感じればそれは詩では無いの かもしれません。でも、それぞれの読者一人一人の感じ方が異なると思う。なので、結局のところは、その作者が「これは詩だよ」と言えば(思えば)それは詩なんだと思います。
難しいことは、私には分かりません。ブルース・リーさんじゃないけど、感じるんですよね。詩って、感じるものだと思う。
ちなみに、詩とは、私にとって、死を含んでいる生(せい)です。
@こしごえ
ぼくは結局のところ、自信だとか肯定感が低いんだと思います。頭でっかちのくせに、アンテナの感度がへたくそですし、最近になってやっとぺけねこに出会えてつきあい方を模索するためにここに飛び込んでみたって感じですし。
ブルース・リーかっこいいですよね!
また繰り返すのでしょうけれど、えいやっとまたゆっくりほそぼそどかんと綴っていけたらと思います。
@ぺけねこ
ぺけねこさんの詩は何かを読みました。ぺけねこさんへのコメントを
通して、詩歴の質量の浅い方々に、いつか読んでもらえればと思って、
コメントしてみます。
ま40年間無駄に過ごしてきた私なので何の参考にもなりませんけども
ぺけねこさんの作品を読んでいて、
「答えなど、
あると感じますよ。説明は簡単なことではないので言葉で伝えることは
私にはほとんど不可能なのですけど、纏まったフェーズごと、年齢とか
時代背景とか、その都度、その都度、これが答えかなと思いながらも、
少しづつ遠ざかっていくのか近づいてきたのか、ある程度、繰り返して
目的地が見えたら、「あっ、なんだ、この列車に乗ればよいのか」と。
偶然の時と場所に身を委ねて考えるのを放棄してみたり(はダメかな?)、
正しい列車か否かは、ある程度、同じところで、うたうたしてみると、
望んでいる事象哉がじれてしまうのか、だらしないぞと怒りに来るのか
望んでいた事象の側から会いにきてくれるので、そこは、一回しかない
人生なので、大袈裟な言い方だけど、好機を掴んで乗車することかなと。
(何も考えないポジティブ発想とは違って)受験勉強で辞書や参考書を
ひきひき勉強を繰り返していると、例えば和英字典だと一度でピッタリ
ページ感覚ですか?やはり若い時(詩では老若男女構わず詩歴の質量)
は、若いうちは、ラーニングバイドゥーイングで、一気に駆け抜けて、
そのあともやって来る何十層ものそれぞれの愉しさがあるのだと思う。
もちろん、最終的に死の間際まで行き着いて答えが見つからなかったら、
結果論としてそれが答えだったのでは?とも思いますし、こしごえさん
のように、「詩は死を抱えて生きていく人生なのだ」も答えだし、ただ、
詩歴の質量の浅い方々(あえて年齢でいえば成長期前)は、はじまりは、
常に「詩」は(ひろくいっても)有形無形の「師」であってほしいかな。
なんて、自分だけではわからないことだらけですので、カッコつけて、
ソフィアの本質を辞書をなめなめしながらコメントを書いてみました。
p.s.
こしごえさん、流れで名前を出してしまってごめんなさい
@足立らどみ
ぼくはやっぱり、過程なんだろうと感じます。答えを決めてしまうと、それに固執してしまいそうで(ぼく自身、依存しやすいので)。そうあるから不安定なんでしょうけど、考えようによっては、それを自身で選んでいるんですよねきっと(そう落としこむことは生存戦略なのやも)。
質量云々はまだよくわからないのですが、色々と受け入れて色々と吐き出して、を色々とやってみようかなあ、とかなんとか、です。